旅日記・2007年メキシコ旅行編7:experiencia


当初の予定では最初の一週間で仕事を終わらせ、翌週の頭ににホテルを出て小旅行に出る予定でした。が、種々の都合により仕事が進まず、ホテルへの滞在を一日延ばしてこの日も朝から資料を集めていました。友人に頼んでいた統計資料の全コピも受け取り、収穫の多い一日でした。


この日の夜は友人と飲みに行こうと思ったのですが、やはり同年代の友人達も仕事や学業で忙しいらしく、月曜から飲みに行くのはキツい、とのこと。そりゃそうですよね。誘ってしまって逆に申し訳ない気分になりました。


と言うことで、馴染みの客と化したホテル近くのネットカフェやレストランで時間をつぶし、ひっそりとホテルに帰り、資料やら荷物やらをまとめていました。以前も触れた様にあまりホテル(日本人宿S)には居たくなかったので、一週間あまりのホテル滞在でしたが殆ど寝に帰るといったカンジで利用していました。ホテルに居たくなかった理由は、


1)初日か二日目の朝食時に、滞在客の一人がメキシコ・メキシコ人を小馬鹿にするようなことを言ってたのを偶然耳にし、ムカっときて、もうこういうことでイラつくのは避けようと思ったから。


2)自分に対して、使用人のメキシコ人の女の子達がスペイン語で色々なことを言い合っていたから(しかも自分の目の前で)。


の二つです。


1)は、確か地下鉄の混雑具合について、ある客が「メキシコ人は馬鹿だからみんなで押し合って地下鉄に乗る、ちょっと待てばまた次のが来るのに」的なことを言ってたんですよね。これは、まぁそう見えなくもないですが笑、地下鉄で次の電車を待つ人ってメキシコでも普通に居るし、実際に彼らがどう思っているのかを知らないで「馬鹿だから」なんて言ってるのはどうなんだ、と思ってしまいました。それにそんなこと言ったら朝の中央線のラッシュだって同じでは?とも言えますよね。


勿論、誰しもこういう短絡的な決め付けってしちゃうものだし、自分だってしてしまってるんだと思います。それで、今回の場合は自分がある程度知ってる対象かつ自分が愛着を持っている対象に関してのことだったので、イラっときてしまったのでしょう。自分も気をつけようと後から思いました。


2)は、正直耳を疑うようなことを普通に言われて驚きました。恐らく彼女らは自分がスペイン語を理解するとは知らなかったんだと思うんですけど、「この人ゲイっぽくない?」「あはは!」とか*1、「No es tan feo como me dijiste.」(悲しくて訳せない、まぁfeoで結構ですけど笑)とか、そういうことを言われると流石に嫌になります。咳払いをしたり睨み返したりしたんですが、多分分かってもらえなかったんでしょう。これ以外にもこのホテル(S・F)には不満があり(部屋の掃除とかランドリーとか)、恐らく二度と泊まることはないと思うんですが、ちょっとだけ話したオーナーのメキシコ人女性が良い人だったのでこの辺で色々書くのは止めておきます。


まぁこれも良い経験だったかな、と、そう自分に言い聞かせつつ、頭の中をけんきゅーモードからばかんすもーどへと切り替えることにしました。

*1:これは、自分が痩せ型だからとか、スキニーを穿いていたからとか、そういうところで判断されたのかもしれません。一応書いておきますと、自分はゲイではないですよ笑。

旅日記・2007年メキシコ旅行編6:mis pinches amigos


翌日の土曜日は大学が開いていないため、水を得たナントカの様に笑、朝から遊びに出かけました。まず前日にゲットしたメトロブスのカードを使いソナロサ(メキシコシティの中心部)に行き、本屋やCDショップなどを冷やかしつつ、後輩と共にある恩人宅へと伺いました。その人がいなければ自分のメキシコ留学という夢は叶わなかったかもしれない、というぐらいの恩人です。若干緊張しつつ、現在の大学院生活や自分が所属する大学の惨状・裏話などを話し、楽しい時間を過ごさせてもらいました。


その後はメキシコ人の友人数人と合流し、レストランへ。やはりメキシコで真昼間から飲むビールは最高です笑。その後、映画に行ったりして今回の滞在中一番楽しい時間を過ごせたのですが、ここはあまり詳しく書けない事情があるために割愛。


日付が変わる頃にホテルへ戻ったにもかかわらず、翌日曜日は後輩達と早朝からプエブラに行く約束があったため、まだ夜も明け切らないうちからホテルを出てバスターミナルへ。週末はメトロの始発が遅いということをすっかり忘れていてちょっとまごついたりもしたのですが、無事到着し、一路プエブラへ。この日はEstrella Rojaというバス会社を初めて利用したのですが、一等でもそこそこの待合室があったりと、結構良い会社でした。


プエブラはコロニアルな雰囲気が漂うメキシコシティ近郊の街で、これといった特徴はそんなになかったりもするのですが笑、落ち着いた雰囲気が心地よい街でした。一番年下でありながら一番しっかりした後輩にルーティングを任せ笑*1、ぼんやりと街を歩き、改めてメキシコに居るということを実感していました。


その後、名物のチレス・エン・ノガタを食べに行ったんですが、まぁ頻繁には食べなくても良いかな、というカンジでした笑。勿論、好きな人は好きなんでしょうけど、やはり食べ物には好みがありますね。


昼食後は突然の豪雨に見舞われ、食事をしたばかりにもかかわらずカフェに立ち寄る羽目に。こういう不確実な所も旅の醍醐味の一つ?なのかもしれません。若い子達の色々な話を聞けてオジサンは結構面白かったです笑。


雨が止んでからは午前中に回れなかった名所を見て、シティへと戻ってきました。一人旅では滅多に車酔いをしなくなった自分ですが、誰か他の人と一緒だと何故か未だに酔ってしまいます。この日もメキシコ州とメキシコシティの間付近で雲行きが怪しくなったのですが、まぁ何とか持ち堪えられました。ちょっと休んでいくという情けない理由でターミナル内で後輩と別れ、酔い覚ましの水を買い、雨のさなかをホテルへ。やはり日帰り旅行は疲れました。


と、週末は色々な人に遊んでもらったおかげで、笑いが絶えない二日間でした。ホントに人との出会いは大事だなと、人見知り&出不精な日本での自らの生活態度を戒めつつ、今回のメキシコ滞在の折り返し地点を迎えました。

*1:自分は下手にメキシコの国内旅行に慣れてしまったせいか、旅行の計画というものを全く立てなくなってしまいました。大体の日程さえ決めれば後は何とかなるというこの考えは、良く言えば柔軟性があり、悪く(と言うか客観的に)言えばダメ人間の典型、なのかもしれません笑。

旅日記・2007年メキシコ旅行編5:la vida


滞在五日目。


前日の銃声騒ぎの影響が出ていないかと恐る恐るCOLMEXに行きましたが、電気は全て復旧し、コピー機周辺には元の喧騒と若干の殺気*1が戻っていました。昼頃に警察というよりは軍隊に近い人達が大勢で来ていましたが、いつの間にかいなくなっていました。やはり何かあったのでしょうか。


と、そんなことを思いながらも、前日のトラブルで遅れた分を取り戻そうとこの日はコピー機の前で緑の光線を浴びまくっていました。


夕方にCOLMEXを出て、メキシコでマスターを終えたばかりの先輩に会いにDr. Galvezへ向かいました。COLMEXからサンアンヘル方面のバスにはあまり乗り慣れていないので、ちょっと行き過ぎてしまったのですが、メトロブスに乗るのを密かな旅の楽しみにしていたので、歩ける距離だったにもかかわらず近くのバス停(メトロ?)からメトロブスに乗り込みました。


ただこのメトロブス、日本のスイカの様に専用のカードにチャージをして運賃を払う仕組みになっているのですが、そのカードの買い方がちょっと分かり難かったりします。書いてある説明通りに操作したのですが、一向にカードが出てくる気配はナシ。途方に暮れていたら通りすがりの若者が代わりに買ってくれて事なきを得たんですが、待ち合わせの時間に遅れていたためにちょっと焦ってしまいました。とは言え、このメトロブスのカードの買い方・チャージの仕方はメキシコ人もよく分かっていない人が多いらしく、このことを後から友達に話したらカードに関する色んな話を聞かされました(お釣りが出てこないのを知らずに200ペソ札を入れた人、500ペソ札を入れた人など)。


待ち合わせのスタバに到着し、先輩と研究のこと・大学のこと・メキシコのことなどを話しました。留学時には色々とお世話になり(特にフィエスタ関係で笑)、帰国後もこっそり先輩のブログを見ていたので活躍ぶりは知っていたのですが、その他の色々なことも聞けて刺激を受けました。全く違う分野を研究している人でも、すごい業績を残したりすごい環境に身を置いていたりする人の話を聞くとやはり心が躍ります。自分は今の研究にはマスターに在籍する今年と来年の二年で区切りを付けるつもりでいるのですが(一度働いて、その後にチャンスがあればまた大学に戻ってきたい、とも考えています)、その決心が揺らぐ様な話の数々でした。


実際、この日から研究生活などに関して色々考えたり妄想したりする機会が格段に増えました笑。今の自分に足りないもの(確たるディスシプリンとしての経済学、データーソース、同業者のネットワーク、フィールドとの関係など)を埋めるには最高の選択肢があることにはあるのですが、色々な制約のために現時点ではそれは不可能な選択です。


そんな風に今後の人生についてグチグチと考えながら、この日はホテル近くのレストランで一人ビールを煽っていました。

*1:外部者用のコピー機が少ない上に、みんな(自分を含む)ほぼ丸々一冊コピーしちゃうんで、いつもちょっとだけピリピリしてます笑。

旅日記・2007年メキシコ旅行編4:ver y llorar


翌日からも大抵は午前中から夕方までCOLMEXの図書館で文献を漁ったりコピーを取ったりする日々でした。が、流石にそんなことばかりやってたら神経がおかしくなってしまいます笑。夕方からはなるべく誰かに会ったり外に出たりと、久々のメヒコを満喫していました。


滞在三日目の午後は、現在メキシコに留学中の大学の後輩に荷物を届け、その足でかつてホームステイしていた家へと向かいました。行くという連絡はおろか、帰国前に挨拶に行ってから連絡を取っていなかったので、行くとは決めたもののかなりドキドキしていました。ただ。コピルコからタスケーニャに向かうペセロ(バス)からスペラマが見えた時は*1、思わず「bajan!(降ります!)」と言ってしまいました。10ヵ月住んだコヨアカンは、今も変わらず落ち着いた雰囲気を醸し出していました。


ペセロを降りてからは、近隣の住人しか知らない様な抜け道を通りながら、かつてのステイ先へと歩いたのですが、何とも言えない緊張感を覚えていました。突然訪ねて行っても大丈夫だろうか、自分のことを覚えていてくれるだろうか、みんな元気なのだろうか、など、色々なことが頭の中を過ぎりましたが、気付いたら見慣れた門の前に到着していました。インターホンを押すとステイ先の孫の懐かしい声が聞こえ、昔住んでいた日本人でセニョーラに会いに来たと告げ、しばし待っていると、門の中から昔と変わらないセニョーラが大きな手を広げて出迎えてくれました。


このセニョーラは自分のスペイン語の口語力を上げてくれた恩人の一人であり、自分はセニョーラに関する多くの思い出を持っているのですが、セニョーラは自宅内の三部屋を留学生などに常時貸し出しているため、自分のことをどれだけ覚えていてくれるのか正直不安でした。ただ馴染みの家の中に通され、みんなで昔話をしていくうちに、セニョーラがこちらの想像以上に自分のことを覚えていてくれていたことが分かりました。住み始めた当初に体調が悪かったこと、入院してしまったこと、サンミゲルデアジェンデとグアテマラのティカルでセニョーラに買ったお土産のこと(未だにリビングに飾ってくれていました)、家を出る直前に近所のバーの前で怪我をしたことなど、細かなことまで覚えていてくれて、正直ジーンときていました。


別れ際に「次はいつ来るの?」と聞かれ、かなり涙腺がヤバくなりながらセニョーラ宅を後にし、かつて足繁く通ったコヨアカンのセントロへ。後輩とご飯を食べ、何となく腹の調子がイマイチだったので懐かしのマンサーナ(リンゴ味の炭酸)を飲み、ホテルへと戻りました。


四日目は夜に二軒目に友人とシェアしたマンションの大家さんを訪ねる約束をしていて、COLMEXから大家さん宅へと向かうつもりだったので、それまでコピーを山ほど取るぞ!と意気込んでいたのですが、昼頃にけたたましい銃声?と共に大学内が停電に。。。コピー機は動かず、それどころか検索用のPCも検索システムが稼動せず、結局何もできず終いでした。またこのトラブルの関係で五時過ぎに図書館のセキュリティチェックがあると言われて図書館から出なければならず、七時の待ち合わせまで外でボーっとしていなきゃならないのか…と思っていました。


ただ図書館の前でポツンと座っていたら、後ろから突然声をかけられました。振り向くとそこにはかつてのクラスメイトが。学年的にもう卒業してしまったものだと思っていたので、会えてかなり驚きました。何でも留学してたりまだ論文を出していなかったりという事情があるんだとか。お互いのことを話し、前回はドタバタしていて渡せなかったメルアドも渡し、しばし懐かしい雰囲気に浸っていました。偶然その日は彼の誕生日だったらしく、フィエスタに来ない?と誘ってくれたりもしました。酒のあるところには是が非でも行きたい私ですが笑、この日は先約があり泣く泣くキャンセル。でも本当にビックリした予期せぬ再会でした。


その後は大家さんの家へ。久し振りに来た大家宅は相変わらず居心地が良かったです。自分が好きだったエンチラーダス・ベルデスを覚えていてくれて出してくれたり、チーズケーキを焼いていてくれたり、更にはお土産まで用意してもらったりと、この日も結構涙腺がユルユルになっていました。夕食後は自分のことや家族のこと、大家一家のことなどを話し、ほのぼのとした時間を過ごしました。泊まっていけとも言ってくれたのですが、翌日はトラブルで一日分の仕事が丸々残ってしまったため、折角の誘い断りホテルへ帰りました。


この二日間は自分がかつてメキシコで経験した出会いの貴重さを改めて思い知った日々でした。

*1:って、あまり詳しく書くと分かる人には大体どの辺に住んでたか丸分かりですよね笑。

Pero No Tiene Nada Que Ver!!


旅日記の途中ですが、ちょっと休憩して小ネタでも。ラウタ朗さんのところで紹介されていた小島よしおのスペイン語バージョンです。ラウタ朗さんも書かれているように、これは韻まで踏んでいて素晴らしい笑。こういうノリって好きですね、やっぱり。



初めから最後までやり切ってます。この人は福岡で活動しているスペイン人ミュージシャンらしいんですが、その辺のエンターテイメント根性みたいなものは流石です笑。

旅日記・2007年メキシコ旅行編3:A trabajar


メキシコのイミグレは結構テキトーです笑。このテキトーさへの対応としては、正反対なマジメな態度で臨む、ただただ笑って遣り過ごす、などの対応策が考えられますが、個人的に一番適切だと思うのは「相手のノリに乗りつつ手続きはそれなりにちゃんとする」、という手です。今回の入国の係員も、「おぉお前は日本人か、日本のこんな歌知ってるか?」といきなり歌い始める様なオジサンだったのんですが、「そんなの知らないっすよ、だってオレ半分ここの人間だもん(medio chilango)」などと言ってフザけつつ、「ところでハンコは〜」などと話していたら何の問題もなくすぐに通してくれました。


空港では、既に七時を回っていたのですが、一刻も早く携帯を復活させて*1友達に連絡したかったので、重い荷物を持ちながらTELCELショップを探したのですが、やはり閉店していました。目的が叶わなかったために余計に疲れ、タクシーの手配所では間違えてワゴンタイプの店に行ってしまいました笑。値段を言われても気付かなかったぐらいボーっとしていました。まぁタクシーの運転手が陽気な人で、久々にメキシコのスラング丸出しの会話を聞かせてくれたので、結果オーライなのかもしれません。


タクシーで向かったのは、日本から予約していた某日本人宿です。メキシコシティにはAとSという日本人宿があるのですが、前者は治安が良くなかったり施設が古びていたりと、あまり良い噂を聞きません。今回は資料収集が目的なので、あまり疲れない所にしようと、個室があり長期割引をしてくれるSの方に泊まりました(それと自分の周りでの評判が良かったので)。一泊200ペソと、普段ならばちょっとパスしそうな値段ですが*2、そこは休息を第一に考えました。日本人宿に泊まるのは初めてだったのですが(一度サンクリストバルで泊まりかけてキャンセルした経験アリ)、ぶっちゃけあんまり得意な雰囲気ではないとホテルについて一分後に分かりました笑。その他にもこの宿についてはちょっと書きたいことがあるので、また後で触れたいと思います。


合計15時間のフライトの後だったので、着いたその日はベットに入った瞬間に意識を失ってました。翌日は比較的早く起き、朝食タイムもなんとなく遣り過ごし笑、すぐに元留学先のCOLMEXへ。流石に一年間通っただけあって、COLMEXまでの道のりは完璧に覚えていました。


自分がいた頃からCOLMEXは他の大学と比べてセキュリティチェックが厳しい方でしたが、今回行ってみてそれが更に厳しくなっていることが分かりました。入り口でのチェックは、若干メンドくさかったりしましたが、でも懐かしくもありました。そこで入校パスをもらい図書館へ。図書館のアーカイブ(階下部分)は学外生が使えないことになっていて、それは知っていたのですが、このチェックも昔はユルユルだったので今回も通れるかな、などと思っていたら、やはり止められました。もう笑うしかありませんね。ニコやかに謝りつつ、カウンターでアーカイブへのアクセスの申請をしに向かいます。これは、自分が以前COLMEXにいたという事情を話したために許可されたものなのか、それとも一般にも申請さえすれば許可するものなのかはちょっと分かりませんが、でも学外生でも階下に降りられる術があるのは確かです。このパスをこの先一週間毎日申請し、そのおかげで快適な資料集めができました。流石にCOLMEXの図書館だけあって資料が豊富で、欲しかったものが幾つか見つかり、また日本ではまず見れないメキシコの博士課程の人達の博士論文などもあって、収穫が多かったです。


この日はCOLMEXの修士課程に進学したメキシコ人の友人と一緒にランチを食べました。COLEMXのカフェで食べるランチは、かつての10ペソの食券制から学生証を利用した販売システムに変わっていて、学外生は40ペソというちょっとあり得ない値段を要求されてしまいました。あのクオリティで40ペソは、はっきり言ってナシですね笑。とは言え、久々に会った友人と楽しい時間を過ごせ、つくづく来て良かったなぁと感じていました。


この日から平日の昼間は毎日COLMEXで資料集め&コピーに勤しんでいました泣。このために来たとは言え、やはりメキシコの空気をもっと吸いたいなぁという思いは常にありました。その鬱積した思いは、平日の夜や休日に発散されることになります笑。

*1:メキシコの携帯は一定期間使用していないと使えなくなります。が、携帯の中に入ってるチップを交換すれば、番号は変わってしまいますが、また使える様になります(スペイン語ではactivarとかactivacionとか言います)。ちなみに数十ペソの無料通話分がついて交換費用は200ペソとちょっとでした。

*2:貧乏っぽく聞こえますが(実際貧乏ですけど)笑、メキシコでは高い方ではないかと思います。少なくてもかつての貧乏旅行時代ならパスしていたでしょう。

旅日記・2007年メキシコ旅行編2:un dia que viene otra vez


メキシコ行きの当日は、その前日にmi ex me mando un pinche msjというあまり喜ばしくない事態が生じたために若干動揺していましたが、それでも久々のメキシコに心が躍っていました。ただメキシコ留学中の後輩から頼まれた荷物が思いのほか重く、それをバックパック(昔メキシコ一周旅行を共にした相棒、久々の登場でした)に入れていたので首がヤバく笑、またそれ以外にもスーツケースを一つ抱えていたので、成田までの道のりは結構地獄でした。


成田にはちょっと早く着き過ぎたために、機内で読むはずだった小説を殆ど読み終えてしまったりしたのですが笑、大きな滞りもなく飛行機に乗れました。搭乗前にセキュリティのランダムチェックに引っかかったのですが、この「ランダム」セレクションとは帰国の時にもお世話になりました(その話は後ほど)。


機内では、ANAなので当然ですが、全て日本語でのアナウンスでした笑。今まで国際線は外国の航空会社しか使ったことがなかったので、ちょっと新鮮でした。こんなことを言うと語弊があるかもしれませんが、フライトアテンダント(って言うんですよね?)の接客とか機内食とかを考えると、日本のサービス業のレベルの高さを感じます。外国でも高い航空会社はまた違うんでしょうけれど、ユナイテッドやメヒカーナと比べるとやはり良いな、と思いました。あと初パーソナルTVだったのですが、これも良いですね。映画好きな私ですが、あんまり良い映画がなかったので結局行き帰りで「オーシャンズ13」しか見なかったのがちょっと残念ですけど、その分付属のゲームにハマってしまいました笑。中でも上海という懐かしのゲームを何度かやったら難易度が何故か高く、ムキになって挑戦していて気付いたらもうすぐロスというところまで辿り着いていました笑。


ロスのイミグレでは、英語が出てこないということ以外は何の問題もなく、またメヒカーナのカウンターまで行けばそこからはもう半分メキシコみたいなものなので笑、全く心配が要りませんでした。入国後の諸々を考えて100ドルをペソに替え、途中で出会った大学でスペイン語の教師をされている方と世間話をしながらのんびりと搭乗。もうこの辺りから頭は完全にスペイン語モードでした。


ロスからメキシコシティまでのメヒカーナ機内では、ANAで上海に熱中し過ぎたためかすぐに眠くなり笑、機内食が出てくるまでずっと寝ていました。起きてからはレイクやフアネスなど、留学中に買ったスペイン語の音楽を聴き、逸る気持ちを抑えるどころか逆に煽っていました笑。


ただこのロスーメキシコシティ間、三年前の留学時は体調最悪のまま乗らざるを得なかったんですよね。あの時はストレスなどによって本当に瀕死状態だったのですが、今回はリラックスできていたし、乗務員や他の客と会話を楽しむ余裕すらありました。三年前と今の違いを生んだのは、やはり一年間のメキシコ留学の経験でしょう。そんなことを考えていたら、着陸準備のアナウンスが流れました。いよいよメキシコ再上陸です。