旅日記・2007年メキシコ旅行編3:A trabajar


メキシコのイミグレは結構テキトーです笑。このテキトーさへの対応としては、正反対なマジメな態度で臨む、ただただ笑って遣り過ごす、などの対応策が考えられますが、個人的に一番適切だと思うのは「相手のノリに乗りつつ手続きはそれなりにちゃんとする」、という手です。今回の入国の係員も、「おぉお前は日本人か、日本のこんな歌知ってるか?」といきなり歌い始める様なオジサンだったのんですが、「そんなの知らないっすよ、だってオレ半分ここの人間だもん(medio chilango)」などと言ってフザけつつ、「ところでハンコは〜」などと話していたら何の問題もなくすぐに通してくれました。


空港では、既に七時を回っていたのですが、一刻も早く携帯を復活させて*1友達に連絡したかったので、重い荷物を持ちながらTELCELショップを探したのですが、やはり閉店していました。目的が叶わなかったために余計に疲れ、タクシーの手配所では間違えてワゴンタイプの店に行ってしまいました笑。値段を言われても気付かなかったぐらいボーっとしていました。まぁタクシーの運転手が陽気な人で、久々にメキシコのスラング丸出しの会話を聞かせてくれたので、結果オーライなのかもしれません。


タクシーで向かったのは、日本から予約していた某日本人宿です。メキシコシティにはAとSという日本人宿があるのですが、前者は治安が良くなかったり施設が古びていたりと、あまり良い噂を聞きません。今回は資料収集が目的なので、あまり疲れない所にしようと、個室があり長期割引をしてくれるSの方に泊まりました(それと自分の周りでの評判が良かったので)。一泊200ペソと、普段ならばちょっとパスしそうな値段ですが*2、そこは休息を第一に考えました。日本人宿に泊まるのは初めてだったのですが(一度サンクリストバルで泊まりかけてキャンセルした経験アリ)、ぶっちゃけあんまり得意な雰囲気ではないとホテルについて一分後に分かりました笑。その他にもこの宿についてはちょっと書きたいことがあるので、また後で触れたいと思います。


合計15時間のフライトの後だったので、着いたその日はベットに入った瞬間に意識を失ってました。翌日は比較的早く起き、朝食タイムもなんとなく遣り過ごし笑、すぐに元留学先のCOLMEXへ。流石に一年間通っただけあって、COLMEXまでの道のりは完璧に覚えていました。


自分がいた頃からCOLMEXは他の大学と比べてセキュリティチェックが厳しい方でしたが、今回行ってみてそれが更に厳しくなっていることが分かりました。入り口でのチェックは、若干メンドくさかったりしましたが、でも懐かしくもありました。そこで入校パスをもらい図書館へ。図書館のアーカイブ(階下部分)は学外生が使えないことになっていて、それは知っていたのですが、このチェックも昔はユルユルだったので今回も通れるかな、などと思っていたら、やはり止められました。もう笑うしかありませんね。ニコやかに謝りつつ、カウンターでアーカイブへのアクセスの申請をしに向かいます。これは、自分が以前COLMEXにいたという事情を話したために許可されたものなのか、それとも一般にも申請さえすれば許可するものなのかはちょっと分かりませんが、でも学外生でも階下に降りられる術があるのは確かです。このパスをこの先一週間毎日申請し、そのおかげで快適な資料集めができました。流石にCOLMEXの図書館だけあって資料が豊富で、欲しかったものが幾つか見つかり、また日本ではまず見れないメキシコの博士課程の人達の博士論文などもあって、収穫が多かったです。


この日はCOLMEXの修士課程に進学したメキシコ人の友人と一緒にランチを食べました。COLEMXのカフェで食べるランチは、かつての10ペソの食券制から学生証を利用した販売システムに変わっていて、学外生は40ペソというちょっとあり得ない値段を要求されてしまいました。あのクオリティで40ペソは、はっきり言ってナシですね笑。とは言え、久々に会った友人と楽しい時間を過ごせ、つくづく来て良かったなぁと感じていました。


この日から平日の昼間は毎日COLMEXで資料集め&コピーに勤しんでいました泣。このために来たとは言え、やはりメキシコの空気をもっと吸いたいなぁという思いは常にありました。その鬱積した思いは、平日の夜や休日に発散されることになります笑。

*1:メキシコの携帯は一定期間使用していないと使えなくなります。が、携帯の中に入ってるチップを交換すれば、番号は変わってしまいますが、また使える様になります(スペイン語ではactivarとかactivacionとか言います)。ちなみに数十ペソの無料通話分がついて交換費用は200ペソとちょっとでした。

*2:貧乏っぽく聞こえますが(実際貧乏ですけど)笑、メキシコでは高い方ではないかと思います。少なくてもかつての貧乏旅行時代ならパスしていたでしょう。