新書で読む日本のODA


昨春の進学時に、院にいったら国際協力関係の勉強会を開こうと思っていました。と言うのもうちの国際協力コースはまだ出来てから日が浅く、学生主導の勉強会の様なものは皆無なので、今後のことを考えるとそういう文化みたいなものを作っておいた方が良いかなぁと思っていたわけです(って、こんなことをM1のペーペーがやらなければならないうちの大学って…)。指導教官にもある程度のレベルの所ではそういう文化はあるのが普通だ、とも言われましたし。まぁ潜在的な需要は自分らが学部の頃から確実にあったので、もしかすると自分の知らないところでこれまでもやられてたのかもしれませんが。


それで四月から勉強会を立ち上げ、前期は自分のゼミの後輩と一緒に、『マクロ開発経済学―対外援助の新潮流』というマクロな開発援助の理論に関する堅い本を読んでいました。その試みはそこそこ評判が良く(多分、と言うかそうであってほしい笑)、後期はもうちょっと対象を広げて広い意味での開発学入門みたいなものをやろうという話になりました。で、開発経済ゼミ以外の人も参加できる様な手軽さ、半期を通じた網羅性などを考慮して、自分がピックアップした七冊の新書から国際協力を考えてみようという多少無謀な読書会を今月の頭から開催しています。


まずは何から入ろうかとちょっと悩んだんですが、まぁ無難なところでODAから始めました。第一回目は『ODA(政府開発援助)―日本に何ができるか (中公新書)』、第二回目は『「ODA」再考 (PHP新書)』を取り上げました。一冊目の方はかなり定評のある本だし、日本の開発経済学の世界では誰もが知っている渡辺先生の共著本なので、ODAの入門書には最適でした。で、二冊目の本は一冊目で得た知識を使って読み込んでいこう、という意図があって選びました。


両者の違いを簡単に言ってしまえば、渡辺・三浦『ODA』は日本のODAに肯定的、古森『「ODA」再考』の方は批判的、となるのですが、読み比べてみたら立場的なもの以上に両者には大きな違いがあるなぁと思わされました。それはODAの捉え方という点です。


前者はODAの外交的(政治的)側面と開発的側面の両面に言及している一方で、後者は政治的側面しか見ていません。これは、開発経済学者の渡辺・三浦の両氏と政治記者である古森氏の違いなのかもしれませんが、二冊ともODAの全般を論じているわけですし、古森氏の様に開発的側面を無視するのはやはり宜しくないと思います。


開発的側面の無視という問題点は、例えば円借款の多さに隠された日本の経験(世銀からの借り入れで復興を果たした日本は、その経験から自律性という点を意識するようになり、ODAでも円借款を重要視した)などを見落としています。また援助効果などに関する批判は古森氏が見聞きした範囲内でのものであって、裏付けはないに等しかったりします*1。例えば批判の槍玉に挙げられているベトナムへの援助ですが、ベトナムに留学していた後輩曰く現地での日本のODAの評価はそれなりのものだとのこと。その後輩の証言もまた裏付けと言えるものではないのですが、古森氏と同じ手法(=自分の見聞きしたものの範囲内での断定)で全く違うことも言えちゃうということです。


勿論、古森氏の批判の中には適切だなぁと思われるものもあります。予算や官庁、ファンジビリティ問題などは、確かに今後のODA改革で議論される点になるとは思います。でもやはり開発的側面を見ていないのは大きいですよね。まぁ専門家向けの本ではなくて啓蒙書?だと言われればそれまでですが、(出版社こそ違えど)同じ新書と言う媒体で出ている渡辺・三浦本と比べると、ちょっと…という印象を持ちました。


と、何でこんな風に古森『「ODA」再考』批判を書いていると言うと、アマゾンなどではこの本が高評価を得ているからです。優良な書、とか書かれてあるのを見ると、ちょっと突っ込みたくなりますね。

*1:援助効果に関する研究は、上で触れた白井先生の本の中で幾つも紹介されています。