旅日記・2007年メキシコ旅行編10:entre nosotros


アカプルコからメキシコシティの南バスターミナルへと戻り、帰宅ラッシュでごった返すトラルパンを横目に友人宅へ。静かな住宅地のためか友人宅は地図に詳しく載っておらず、見覚えのある所でタクシーを降り、近所の方々に聞きながら何とか到着しました。


留学が始まった頃はスペイン語力が乏しく、文法しか取り柄がなかったので、道端で気軽に誰かに道を聞くことすら恥ずかしがっていた(怖がっていた)と記憶していますが、留学期間を通じて徐々に「その辺の人に道を聞く」というメキシコで暮らす上で重要なスキルを身に着けていきました。今では「取りあえず聞いておこう」という精神が育ってしまいました(良いんだか悪いんだか、というカンジがしなくもないのですが笑)。


友人宅でいつもの様に夕食をご馳走になり、明朝のタクシーの手配もしてもらい、更には食後のデザートまで、と、毎度のことながら至れり尽くせりでした。ちょっと感傷に浸りそうな自分を抑えつつ、三時起きの翌日に備えてこの日は日付が変わる前に就寝。


翌日、まだまだ暗い中を一人で起き出したらすでに家の中には灯りが点っていました。友人一家のお母さんが早めに起きてお湯を沸かし、また「お弁当」を作っていてくれて…。スーツケースの中身を整理する振りをしながら、必死に堪えていました。その後起きてきた友人と三人でお茶を飲み、タクシーの時間まで他愛のない話をしてるうちにタクシーがやってきました。


荷物を積み、友人一家との別れの時がついにやってきました。二年ぶりの訪問を快く受け入れてくれ、温かく迎えてくれた彼ら。別れのabrazo(抱擁)にこもっていた力に、色々な思いを感じてしまいました。「ちゃんと空港に着いたら電話しなさい」という、親から言われている様な一言も、胸に響きました。


タクシー乗車後は、「空港まで?」という問いかけに「はい、国際線ターミナルまで」と最初に答えてから、ずっと押し黙っていました。アステカスタジアムからディビシオン・デル・ノルテを通って空港まで向かう道すがらは昼間の喧騒からは想像できないほど静かで、夜の帳の中で陽気に集うタコス屋の客を見ながら、友人一家やその他多くの人のことを思い出しながらひっそりと涙を流していました。


大幅に遅れて始まったチェックインを無事終え、ビザ云々と英語で怒鳴り散らしている中国人女性を尻目に、搭乗ゲートへ。途中友人の母から電話をもらい、最後の挨拶をして、機内へ。


いつものことながら、飛行機の機内から眺める風景は何故か感情を揺さぶる様な気がします。法的には(多分)出国手続きをしたらもう出国したことになるのでしょうが、飛行機の場合は、乗った瞬間、扉が閉められた瞬間、離陸の瞬間と、「別れ」を感じさせる多くの瞬間があり、その度に色々なことを考えてしまいます。各々の瞬間に、自分の心の中にあるメキシコと言う国の存在をひしひしと感じていました。


今回の旅を通じ、自分は何故メキシコが好きなのか、ということをぼんやりと考えていました。サッカー少年だった幼少期から中南米は身近な存在だったこと、そんな中南米の国々に蔓延る貧困問題に心を痛めたこと、大学でスペイン語を学んで中南米の貧困問題に取り組みたいと思ったこと、メキシコには国費の留学制度があったこと、留学中に得た色々な経験が大きな糧となっていること、など、様々なことを思い出していました。


でも結局思ったのは、恐らくは確固とした理由などなく、多くの偶然が重なって、メキシコへの愛着が生まれたのだと思います。こう書いてしまうとテキトーだなと思われてしまいそうですが、asi es la vida、それが人生と言うものなのでしょう。そして、そういった偶然の重なりが、人と人との絆のようなものを紡いでいくのではないでしょうか。


太平洋を挟んだ向こう側の国や、そこに暮らす人々と、自分。その間にあるのは、一見脆い様に見える様々な偶然の積み重なりが生んだ、確かな繋がり。そんなものを、今回のメキシコ旅行で確認できたのでは、と思っています。