旅日記・2007年メキシコ旅行編4:ver y llorar


翌日からも大抵は午前中から夕方までCOLMEXの図書館で文献を漁ったりコピーを取ったりする日々でした。が、流石にそんなことばかりやってたら神経がおかしくなってしまいます笑。夕方からはなるべく誰かに会ったり外に出たりと、久々のメヒコを満喫していました。


滞在三日目の午後は、現在メキシコに留学中の大学の後輩に荷物を届け、その足でかつてホームステイしていた家へと向かいました。行くという連絡はおろか、帰国前に挨拶に行ってから連絡を取っていなかったので、行くとは決めたもののかなりドキドキしていました。ただ。コピルコからタスケーニャに向かうペセロ(バス)からスペラマが見えた時は*1、思わず「bajan!(降ります!)」と言ってしまいました。10ヵ月住んだコヨアカンは、今も変わらず落ち着いた雰囲気を醸し出していました。


ペセロを降りてからは、近隣の住人しか知らない様な抜け道を通りながら、かつてのステイ先へと歩いたのですが、何とも言えない緊張感を覚えていました。突然訪ねて行っても大丈夫だろうか、自分のことを覚えていてくれるだろうか、みんな元気なのだろうか、など、色々なことが頭の中を過ぎりましたが、気付いたら見慣れた門の前に到着していました。インターホンを押すとステイ先の孫の懐かしい声が聞こえ、昔住んでいた日本人でセニョーラに会いに来たと告げ、しばし待っていると、門の中から昔と変わらないセニョーラが大きな手を広げて出迎えてくれました。


このセニョーラは自分のスペイン語の口語力を上げてくれた恩人の一人であり、自分はセニョーラに関する多くの思い出を持っているのですが、セニョーラは自宅内の三部屋を留学生などに常時貸し出しているため、自分のことをどれだけ覚えていてくれるのか正直不安でした。ただ馴染みの家の中に通され、みんなで昔話をしていくうちに、セニョーラがこちらの想像以上に自分のことを覚えていてくれていたことが分かりました。住み始めた当初に体調が悪かったこと、入院してしまったこと、サンミゲルデアジェンデとグアテマラのティカルでセニョーラに買ったお土産のこと(未だにリビングに飾ってくれていました)、家を出る直前に近所のバーの前で怪我をしたことなど、細かなことまで覚えていてくれて、正直ジーンときていました。


別れ際に「次はいつ来るの?」と聞かれ、かなり涙腺がヤバくなりながらセニョーラ宅を後にし、かつて足繁く通ったコヨアカンのセントロへ。後輩とご飯を食べ、何となく腹の調子がイマイチだったので懐かしのマンサーナ(リンゴ味の炭酸)を飲み、ホテルへと戻りました。


四日目は夜に二軒目に友人とシェアしたマンションの大家さんを訪ねる約束をしていて、COLMEXから大家さん宅へと向かうつもりだったので、それまでコピーを山ほど取るぞ!と意気込んでいたのですが、昼頃にけたたましい銃声?と共に大学内が停電に。。。コピー機は動かず、それどころか検索用のPCも検索システムが稼動せず、結局何もできず終いでした。またこのトラブルの関係で五時過ぎに図書館のセキュリティチェックがあると言われて図書館から出なければならず、七時の待ち合わせまで外でボーっとしていなきゃならないのか…と思っていました。


ただ図書館の前でポツンと座っていたら、後ろから突然声をかけられました。振り向くとそこにはかつてのクラスメイトが。学年的にもう卒業してしまったものだと思っていたので、会えてかなり驚きました。何でも留学してたりまだ論文を出していなかったりという事情があるんだとか。お互いのことを話し、前回はドタバタしていて渡せなかったメルアドも渡し、しばし懐かしい雰囲気に浸っていました。偶然その日は彼の誕生日だったらしく、フィエスタに来ない?と誘ってくれたりもしました。酒のあるところには是が非でも行きたい私ですが笑、この日は先約があり泣く泣くキャンセル。でも本当にビックリした予期せぬ再会でした。


その後は大家さんの家へ。久し振りに来た大家宅は相変わらず居心地が良かったです。自分が好きだったエンチラーダス・ベルデスを覚えていてくれて出してくれたり、チーズケーキを焼いていてくれたり、更にはお土産まで用意してもらったりと、この日も結構涙腺がユルユルになっていました。夕食後は自分のことや家族のこと、大家一家のことなどを話し、ほのぼのとした時間を過ごしました。泊まっていけとも言ってくれたのですが、翌日はトラブルで一日分の仕事が丸々残ってしまったため、折角の誘い断りホテルへ帰りました。


この二日間は自分がかつてメキシコで経験した出会いの貴重さを改めて思い知った日々でした。

*1:って、あまり詳しく書くと分かる人には大体どの辺に住んでたか丸分かりですよね笑。