不思議な出会いからフィエスタまで・後編


メキシコ人に限らず、外国の方の年齢は分かりづらい(私だけかもしれないが)。彼等の年齢も、直接聞くまでは同じ位かちょっと上だとばかり思っていた。実際は三つか四つも年下であったというのに。


男女問わず、実年齢の割に彼等はだいぶ大人びている。それは行動の面でも(詳細は自主規制)精神的な面でも言える。少年達は、あまり真面目とは言えないし言動は日本のティーンエイジャー及びかつての自分と大差ないのだが、精神的な強さを折に触れて覗かせる。少女達は総じて積極的で、年上のはずの私達が若干たじろぐほどであった(詳細は自主規制笑)。


彼等と共にセントロの中を幾度か回った。途中雨が降ってきてビショ濡れになり、しかも旅行の疲れで体がだるくなってきていた。そんな私に彼等はしきりに"Que' te paso'?"(どうした?)と声を掛けてくれた。友達なんだから何かあったらすぐに言えよな、という言葉に年甲斐もなく結構嬉しくなったりもした。


無計画に何度も何度もセントロ内外を歩き回るうちに私の疲れも彼等の疲れも頂点に達していた。既に時計は三時を回っていた。彼等はそれから友達のフィエスタに行くとのことで、当然の如く私達も連れて行く様だった。大通りに出て流しのタクシーを拾い、フィエスタの会場へと向かう。大使館や外務省の方々には、流しのタクシーであるLibre(リブレ)には絶対乗るな、と言われていた。リブレ強盗というものがここ最近流行しているからである。が、彼等は当たり前のようにリブレを止め、総勢七人(運転手を除く)で一台のタクシーに乗り込んだ。


招かれていたはずのフィエスタなのに教えられた住所は間違っていて、結局彼等の内の一人の家に行くことになった(もうこの程度の無茶苦茶さでは驚かない笑)。アラブ系の彼の家は、DF(Distrito Federal、連邦特別区)の東端にあるIztapalapaという現地では有名な危険地帯だったが、この時はそんなことも全く知らなかった。タクシー(勿論リブレ)を利用し家の前まで行ったので、危ないことに巻き込まれる心配もなかったのだが。七人もいればタクシー強盗なんてこともまずない(と言うよりもよく乗せてくれたなぁと思う笑)。


彼の家に着き、彼の兄弟・従兄弟達も混じってフィエスタが始まる。時は既に四時であり、それ程騒いだりはしなかったが、ロックやパンクが好きな彼等は音楽をガンガン流し、それに合わせて歌う。昔バンドでボーカルをしていた、と言うと、歌え歌えの大合唱となってしまい、私自身調子に乗って、旅行に持っていったCDの中からGood Charlotte"The Young and the Hopeless"の'Lifestyles of the rich and famous'を選び歌う。朝方五時に民家で熱唱した記憶はこれまでにあまりない笑。


空が明るくなり始め、皆が少しウトウトしてくる。私も、旅行帰りということもありとてつもなく疲れていて早く家に帰って寝たかった。彼のお母さんは朝食を食べていけと勧めてくれたが、食い気よりも眠気が勝り、もう一方と一緒に九時頃に帰路についた。その後一日中ベッドの中で過ごしたのは付言するまでもないだろう。


彼の家に行ってみて思ったことが幾つかあった。一つは生活感覚というものだ。ハッキリ言って彼の家はそれ程裕福とは言えない。居住地区もあまり良いところではないし、家も大きくはない。兄弟も多く、生活はあまり楽ではないと推測できる。それでも彼等は大好きな音楽に関するものに金をかけることだけは厭わない様だ。とても立派なオーディオプレーヤーと、所狭しと並べられた国内外のパンクやロックのCDの数々に、彼等の生活感覚というものが垣間見られた。メキシコ人の自殺率は世界で一番低い、ということをどこかで聞いた覚えがあるが、それはこの様な生活感覚の賜物ではないか、と思った。


もう一つは事象としてのグローバリゼーションというものだ。グローバリゼーションという用語に関して厳格な定義は未だにされていない(様に思う)が、日本における代表的なグローバリゼーション研究者である伊豫谷登士翁氏は、グローバリゼーションを考えるにあたって「統合」と「排除」が同時に起こる、という一面を強調している*1。インターネットに接続可能な者とそうでない者、クレジットカードを持てる者ともてない者。そういった広義の「財」へのアクセス権を有する者は世界に「統合」され、アクセス権を持たない者は「排除」される。そしてその延長として、世界都市と呼ばれる地域は点で結ばれて似通った様相を呈し、世界企業の商品は東京にいようがメキシコシティにいようが買えてしまう。これは文化に関しても同様である。


NOFX、Off Spring、Green DayRANCIDNo Use For A NameGood CharlotteSimple Plan等といったバンドは(一部の間ではあれ)日本でも名が知られているが、彼等ともその価値を共有し得た(フィエスタをした彼の家のCDコレクションの中にはBALZACという日本のバンドの名前もあった)。勿論この陰にはアメリカ・英語・多国籍企業・南北格差といった問題があるが、この様なより身近なカタチでのグローバリゼーション体験は何とも不思議なものだった。


話の筋からは幾分ズレるが、「グローバリゼーション」の頭に「事象としての」という冠を付したのは、完全な定義付けは未だ(そしておそらくはこれ以後も)無理にしろ、バズワードとしてではなく、ある程度の射程というものをハッキリさせた上でこの語を使用したいという思いからである。あまり詳しくないので逃げ腰になってしまうが、例えばチアパスの問題を考えるにあたっては、「事象としての」グローバリゼーションと「手段としての」グローバリゼーションは各々考察せねばならないものではないか。「事象」として生み出された貧困に立ち向かうべく、「手段」としてインターネットを用いた彼等だが、その両者に共通するグローバリゼーションは明らかに性質が違うものではないだろうか。何に際してもグローバリゼーションの一言で片付けられる(片付けられ得る)のが現代である。少しでもそういったものとは距離を取ろうと思い、この長ったらしい説明を後付けした(が、やはり私の力不足故に大した違いを表すことはできなかった様だ)。

*1:伊豫谷登士翁『グローバリゼーションとは何か―液状化する世界を読み解く―』(平凡社新書)参照。また、今年の四月から七月まで、幸運にも大学で伊豫谷氏の講義を拝聴する機会を得られ、その際に伺ったお話も参考にさせていただいた。本務校でも学部の講義は担当されていないらしいので、貴重な経験となった。その上毎回毎回私の下らない質問にも丁寧に答えて下さり、とてもありがたかった。来年度以降も講義に来て頂けると嬉しいのだが、今年の人の集まりようを考えるとそれはちょっと難しそうだ。