サン・ミゲル・デ・アジェンデという「アート」


翌15日、レオンに着き方々のバス時間を調べ、次の目的地を一番バスの時間的にピッタリだったサン・ミゲル・デ・アジェンデ(以下「サンミゲル」と略)に決めた。こういう「行き当たりばったり」さは、しかし、バックパッカーの一人旅の醍醐味でもある。また、いい加減な私の性格にも合っている笑。


サンミゲルに到着後、いつもの様に次なる目的地までのバス時間を調べ、ターミナル前に停車している市バスに乗り込み、中心地へと向かった。某ガイドブックに掲載されているユースホステルに荷物を置き、すぐさまモレーリア同様街のシンボルとなっているカテドラルを見に行った。



18世紀に産業が発達した頃に造られた数々の建造物は、今でもこの小さな町の「顔」であり続けている。ここでもまた「歴史」というものについて考えてしまった。


その後、ホステル近くにある中華料理屋で夕食を取った。長い旅のどこかで一度は高くても美味しいものを食べる、というのが、旅を長く楽しむ秘訣だと前回の旅で悟ったのだが、今回の贅沢はちょっと早すぎた感があった笑。まぁ、その後の旅程からガイドブックを辿って、一番食べたいと思ったのがこのレストランだったということなのだが。そして中華といったらビール笑。ここでは軽く飲み、次に場所を変えてカテドラル近くの、安いが英米系のロックをガンガン流しているいい雰囲気のバーで更に二本程飲んだ(本当は一本のつもりが、プロモーションをしていて二本で20ペソ(位だったと思う、日本円にしたら約200円)という値段だったので、まぁ仕方なく笑)。この店からはライトアップされたカテドラルが見え、しかも店員の愛想も良く、ビールの銘柄も「インディオ」と、まさに私好みの店だったのを覚えている笑。


その後ホステルに帰り、読みかけの本を読んでいたら、隣の部屋のメキシコ人二人組に声をかけられ、ビールを買ってきたから一緒に飲まないか、と誘われた。勿論二つ返事で承諾し笑、中庭の様なところで飲み始めた。聞くと、レオンのターミナルから同じバスに乗っていて、それで私のことを覚えていたらしく、声をかけてくれたそうだ。二人はメキシコ州*1に住む兄弟で、今はレオンにいる親戚を訪ねてきたついでに一日だけサンミゲルに遊びに来たそうだ。普通に一時間程話していて、何気なく年を聞いたら、二人は19才と15才だと答えた。兄の方はまだしも弟の方は飲むなよ、と思ったが笑、もう既に二本目を薦めた後だったので(主導権はホロ酔いの私にあった笑)、軽い罪悪感に苛まれた。その後も結構話し込んだのだが、マジメな話から馬鹿話*2まで、誘われたはずの私が調子に乗って話していた気がする。付き合わせてしまったかな、等と軽く気にしながらこの日は床に就いた。


明くる16日は朝から街をのんびりと歩いていた。のんびりとした雰囲気の街を、のんびりと歩く。こういう過ごし方が自分に合っていることはもう知っていたので、その通りに過ごしていた。歩き疲れたら公園のベンチやカフェで休み、またぼんやりと歩き、気が向いたら民芸品を扱う店を覗く。この街はそういう過ごし方をするのに適していた。銀細工の店でリングを買った後、午後には町外れにある展望台まで歩いて行き、この小さな街の全景を拝んだ。遠くから見る街並みもまた良かった。



その後はこれまた街の外れにある美術学校を覗きに行き、たまたま開催していたバザーを見て(これがまた良いカンジだった)、それからバスターミナルで次の日の早朝のレオン行きのバスチケットを購入した。夜は控えめにタコスで空腹を満たした後、例の如く前日のバーで軽く飲み、ホステルへと戻った。その時にホステルに滞在していた日本人のお二方と少し話し、途中からその輪に混ざったグアダラハラから来ていた女性とメキシコ人旅行者の裏事情(偽造学生証によるバス料金詐欺、ってその方がまさにそれをやっていらっしゃったのだが笑)等を話して大笑いした後、比較的早めに就寝。次の日のバスのことを考えてのことだったのだが、二段ベットで私の上に寝ていた方の強烈ないびきのせいで明け方に目を覚まし、翌朝は結局は寝不足のままバスへと乗り込んだ。各地でホステルには泊まっているが、こればかりはその時の運次第なのである。まぁ、旅行中は大抵疲れているので、あまり気にせず寝れるのだが。


サンミゲルを歩いていると、よく外国人に出会う。それは、観光地としての知名度もさることながら、他の都市に住む外国人がバカンスを過ごしに来たり、また数多くある芸術系の学校で絵画や彫刻、銀細工等を学びに欧米や日本から多くの人が訪れているためだそうだ。そのためもあって、街が「芸術家の愛する街」然としている(と、私は感じた)。カテドラルを初めとする建物も、その雰囲気を醸し出す一助となっているのは言うまでもない*3。サンミゲルという、一つの街が一つのアートと化していると言っても、強ち言い過ぎではないだろう。この街で過ごす老後の一時をボンヤリと想像してみたのだが、それはとても私の心を惹き付けるものだった。

*1:所謂「メキシコシティ」という呼称は、連邦特別区(Distrito Federal、略してDFもしくはDistrito)とこのメキシコ州の幾つかの地区を含めた言い方であるとされる(少なくとも、学問的には)。故に、気の利いた訳語としては「メキシコシティ都市圏」というものが使われることもあるが、日本の多くの方にとってはただのメキシコシティという呼び名の方がポピュラーだろう。一応断っておくと、私がこれまでメキシコシティという呼び名を用いてきたのも、そういったポピュラーさ故のことである。

*2:例えば、"Oye, q les parecen las chavas d Mexico a ustedes? Es q, a mi me parece q las nortenas son mejores q las d alla, ay, pero a mi, eh. Pues, las d alla tienen las pansitas grandes, comen mucho, pagan nada, verdad? Q padre q sean asi! Pero las d aqui, mucho mas delgaditos!! Quizas no comen mucho y si pagan, no crees guey? Ay, ahorita tengo ganas d vivir aqui... といった具合にである。翻訳は敢えて書かないでおく笑。

*3:ちなみにこういうコロニアル都市では、建物の新築・改築に際し、街の雰囲気を壊さないために政府の認可が必要となっている所が少なくない。