サカテカス、そして北へ


17日の早朝にサンミゲルを発ち、レオンを経由して同日の午後サカテカスに着いた。中心地のホステルに投宿し、カテドラルと博物館を見て回る。サカテカスのカテドラルは、チュリゲラ様式という過剰な装飾が施された造りらしく、幻想的な趣であった。



(外観の造りの手の込みようは、分り辛いかもしれないが上の写真のアップ(下)からも伺える。)



夕方にホステルに戻り、ホステル自慢のテラスからカテドラルをボンヤリと眺めていた。暗くなってからカテドラルのライトアップを狙ったのだが、いざそれを撮ってみて、何故か既視感に襲われた。それもそのはず、「地球の○き方」のサカテカスの紹介ページに掲載されている写真とアングルが全く一緒なのである。多分その写真はここから撮られたはずである。



この時、テラスで一人ボンヤリとしていたら、日本人旅行者の方から声をかけられた。そのお二人はロスからティファナへ抜けてきて、メキシコを南下しているとのことだった。ロスでWARPEDを見てきた(しかも超豪華メンバー、と言うより、個人的に大好きなNO USE FOR A NAMEが出ていた!!)というお二人としばらく話しているうちに旅話で盛り上がり、では飲みますか、という話になった。勿論二つ返事、である笑。何でも最近注目を浴びる若手の某エモ系バンド(Hから始まる、と言えば、分る人には分るかも)のスタッフをされているらしく、私が大好きな日本の幾つかのバンドの方々と知り合いとのことだった。羨ましい限りである。いつも思うが、こういう旅先で出会った人の話を聞くと、世間というのは至る所で繋がっているんだな、と思う。私の場合はただ単に幾つかのバンドのファンであっただけで、そのバンドとの繋がりは「一ファン」としてのものだったに過ぎないが、それでも「あの曲はさ、これこれこうで〜」とか、「本人達は〜って考えていて〜」等という話は、誰にでもできるものではないだろう。自分も、すごく隅の方であれど、社会の一コマとして組み込まれているのだな、等と多少大袈裟なことを考えつつ、この日は眠りについた。


18日は朝からサカテカス市内を回った。まずはエデン炭鉱に行き、西側からトロッコで炭鉱内に入り、一通り見てから東側へと抜け、その足でケーブルカーに乗り、ブーファの丘から街を見下ろした。赤みがかかった街並みを称したピンクシティという呼び名があるそうだが、確かにその街並みは美しかった。



昼食後、ホステルのテラスで夕方まで時間を潰した。部屋は明け渡したものの、次なる目的地であるチワワへのバスは夕方に出るので、それまで荷物を置かせてもらっていたのである(これは大抵のホステルで頼める)。雲が流れ日差しと共に移ろうこの街の気候、石畳となっている道。何でもないものに何か意味を見出せる様な思いを抱くのは、旅というものの魔力だろうか。思えばサカテカスでは、前述の日本人お二方以外にも色々な人と出会い、話をした。トロッコで一緒だったベラクルスからのカップルや、ブーファの丘の上で子供と是非一緒に写真に写ってくれと頼んできた愛想の良いメキシコ人一家、そしてアリゾナから来ていた、日本語とスペイン語を話すアメリカ人女性。特に最後のアメリカ人女性とは結構お話をさせていただいたので印象深い。彼女は、恐らく還暦近い年齢であろうが、それでもメキシコ内をバックパックを背負って、スペイン語の分からない娘さん(か、親戚の子、その辺は深く聞かなかった)の通訳にもなりながら旅する姿は、ある意味では私の目標であり、あの様に年を取っても旅をしたいなぁと思わされた。息子さんと一緒に僅かではあるが新潟に住んでいたそうで、日本語・英語・スペイン語という三つの言語を話す(注:「話せる」ではない)という共通点からも、何か親近感の様なものを感じた。最後にバスターミナルでバスを待ってる時にもばったり会い、しかもお互いのバスが来たのもほぼ同時だったために、「アディオス」「バイ」「サヨナラ」と、三通りの別れの挨拶を交わし、それぞれ北と南へと旅立っていったのだった。こういった出会いもまた、旅の醍醐味であり、旅の魅力なのである。そういう、「旅的要素」が沢山詰まっていたのがこの時のサカテカス滞在だった。


今回の旅でも前回同様、宿はユースホステルを利用することが多かった。これは、メキシコの場合100ペソ(約1000円)程度で泊まれる(それ以上の額の場合は、例えば朝食が付く等のオプションがあったり、比較的新しくて清潔だったり、という条件のものである)、というバックパッカーには魅力的な値段のためである。今回は殆どの所で、某ガイドブックに載っているホステルを利用し、サカテカスでもそうだった。ガイドブックには「スタッフがフレンドリー」と書かれていて、確かに一番若いスタッフの方は愛想も良かったのだが、一番年を召したスタッフの方は、正直、そうかなぁ、というカンジだった。別の方が前日貸してくれると言っていたタオルを、次の日になって貸せないと言ってきたり(シャワー浴びたら震えるしかないよ、的なジェスチャーと共に)、こちらの話を完全に無視して自分の言いたいことばかり(しかも時折、恐らくスペイン語ができないと思い、軽く失礼なことをも)言ってきたり、枚挙に暇がない。まぁこの辺は慣れているし、この宿の場合は他の方が良かったのでそれ程苦にはならなかったが、やはりちょっとムカっときていたのは事実である。


思うに、安いホステルにとって、ただでさえ宿泊料を安くしているのだから更に客に奉仕するということは、ある意味では「無駄なこと」なのかもしれない。ただ、経験的に見ても、こういう類の「無駄」が多いところには、また来たいな、と思わせる何かがある。経済合理性の追求が必ずしも富を得る唯一無二の手段ではないことは、こんなお粗末な例を出さずとも周知の通りだが、しかし実際に経験すると身に沁みて分る。ちなみにこのことは、新興の東北の某野球チームのオーナーが本拠地のスタジアムの椅子の幅を削って、一人でも多くの観客が入るようにした、ということにも当てはまる。元々交易というものにはある意味での「自虐性」があったというのは人類学の教えるところであるが、その基本原理は現代でもまだ生きている(はずだ)。宿を出る際に件のスタッフに言われた、微妙に失礼なことに軽く腹を立てながら、また今度この街に来たならばどこに泊まろうか、と、ターミナルへ向かう市バスの中でキョロキョロしつつ、そんなことをボンヤリと考えていた。


サカテカスからチワワまでは、今回の旅では初めての夜行バスで行くことにしていた。前述のアメリカ人女性と話をしながら、遅れていたバスの到着を待った。バスは、メキシコシティから国境の町であるシウダ・フアレスまでを結び、途中チワワを経由する、というものだった。諦めていた国境越えに対する思いが再燃しそうになったが、しかしそういうわけにもいかない。またメキシコに来る機会は何度もあるだろうし、その時の楽しみとして残しておこう、と、逸る自分に言い聞かせながらバスへと乗り込んだ。


サカテカスを出たバスは、半日かけて北部のチワワへと向かった。旅の折り返し地点はもうすぐそこに迫っていた。