ご質問へのお答え


前回の最後にも書いたが、以前Kotaroさんから以下の様なご質問を頂いた。

Ao-exisさん 
お聞きしたことなかったのですが、どうしてメキシコに興味を持たれたんですか?高校生の時からスペイン語を学習されていたのでしょうか?実際にメキシコに住まれて、イメージしていたメキシコなりメキシコ人像は変わりましたか?Ao-exisさんにとって今感じているメキシコの魅力について教えていただきたいです。
よろしくお願いします!


大分遅くなってしまったが、このご質問に対する返答を書きたい。興味のない方はどうぞ読み飛ばして頂きたい。


まずはスペイン語について。小・中とサッカーをしていたせいか、サッカーが盛んなラテンアメリカには昔から興味があったのだが、高校時代の紆余曲折*1を経て、大学でこの地域に関する勉強をしたいと思うようになった。スペイン語を始めたのは大学に入学してからである。学部としては一応「スペイン語専攻」ということになる。大学のコンセプトとしては「言語プラスアルファ」という面をかなり強調しており、それを信じて入学したものの、まんまと騙された笑、というのが正直な感想である(ベースとなるべき言語が確立されてない、ってその代表格みたいな私が言うのもなんだが笑)。が、それは大学側の責任でもあり、私達学生の責任でもある。制度的な問題を個人の努力で乗り越えている方も少なくない。そんな私故に、到着当初はまだまだ「スペイン語慣れ」していなかった。読めば分かるけど聞き取れない・パッと言葉が出てこない、という思いを当時は何度か味わった。しかし、最早メキシコ在住歴も八ヶ月余り、当時の様な困惑を覚える機会は格段に減った(当たり前だ笑)。言語の習得のためにはその言葉が話されている国に住む、という陳腐すぎる意見はあまり好きではないのだが*2、やはりこの定説は、ある程度は真なのだな、と思っている。


さて、次にメキシコのイメージ、という話について。私が当初抱いていたメキシコ及びメキシコ人のイメージは、通俗的だが、やはり「明るく楽しい」というものだった。貧困等の問題こそあれ、それでも太陽とテキーラとマリアッチの国、というイメージが強かった。しかし、実際住むことが決まってからは、メキシコの負の側面、つまり犯罪等について心配する様になった。渡航前に外務省から渡された資料には凶悪犯罪の例が数多く載せられており、漠然としてはいるがそれでも消えることのない不安を抱いていた。が、この治安に関する心配は、ある程度考えて行動してさえいれば問題ない、というのが実際住んでみての感想である。スペイン語のレベルや海外での生活に慣れているか、という副次的なファクターもあるだろうが、常識的な行動(夜間の外出を控える、持ち物や服装、立ち居振る舞い、等々)をとっていれば犯罪に遭遇する確立はぐっと減る(それでも遭ってしまう場合があるが、これは世界中どこに行っても、勿論日本でも、同じことだろう)。


では前者のイメージはどうか。何となく、というカンジだが、まぁやはり全体的にこのイメージは当てはまる。しかし、完全にそうではない。と言うか、これは至極当たり前なことだが、「〜人」という総称は完全に個々人を表象するものではなく、近似値的なものである(誰から見ての近似値かは、時と場合によってがらりと変わるのだが)。なので、勿論陽気で気さくなメキシコ人ではない、カンジの悪いメキシコ人もかなりいる。これは私がメキシコでは「外国人」となるので特に感じることなのかもしれない。外国人、とりわけアジア人に対する見方は結構極端だ。オリエンタルなものにやけに興味を示す者もいれば、道を歩いているだけでバカにしてくる者もいる。ただ、個人的には最近、多分こういう「国民性」や「国家的イメージ」というのは、先述した通り近似値なのではあるが、その元の値(個々人の値)は世界中どこでもかなりバラけているはずだ、という風に感じている。見も蓋もなく言ってしまえば、どこに行ったって色々な人間がいる、ということだ。良いカンジの人のプロトタイプと嫌な人のそれは、単純に日本とメキシコを比較してみても、結構似ているが、それはもうちょっと敷衍させることもできるだろう(って、とてつもなく当たり前のことを大事の様に言ってるので、何だか恥ずかしいのだが笑)。そのため、道端でバカにされた場合には「あぁまたどっかのバカが何か言ってるぜ、第一中国人じゃないのに、その違いくらい分かるようになってからバカにしてこいってんだ」と心の中で(時には相手に直接)言ったり笑*3、親切にしてもらった場合は「あぁ何て言い人なんだ」と、その時々の感情を「個人」に対してぶつけ、「メキシコ人」というイメージには還元しないようにしている。


ちょっと話がそれるが、もっと言ってしまえば「メキシコ人って〜」という語法を最近は使わないようにしている。それは上記の理由が第一にあってのことだが、自分自身が「日本人は〜」の語法で括られることに嫌悪感を抱いているからでもある。以前も書いたが、日本人男性とメキシコ人女性が恋愛関係に発展する場合、時に男性側が持つ「日本人」というナショナリティが真っ先に問題にされることがしばしばある(つまり、「日本人」だから付き合う、ということ)。そうでない場合もあるし、私自身そういった例を見聞きしている(また、逆パターン(日本人女性)の場合はこの手の問題があまり浮上してこない様な気がする、私の周りの方々は皆とても幸せそうで、こういった愚痴を女性陣から聞くことは今のところない)。しかし、「日本人だから」、という例が身近で最近頻発している(ヒドイ例を見た、ということもあるのだろうが)。多くの場合それを事前に察し、回避することが多いが、あるとても親しい(がだいぶ間抜けな)友人はまんまと術中にはまってしまった様で、後に嫌な思いをしたそうだ。彼の場合、交際している時にハッキリと「日本人だから」とまで言われたそうだ(そこまで直裁ではないかもしれないが、それに近いものだったそうだ)。何故この様な事態が生じるのかについては、日本に行きたいから(つまり、一種の「玉の輿」)とか、貢がせるとか、諸説入り乱れているが(これらの説は数人の日本人女性による分析、しかもそういう行動に出るメキシコ人女性と過ごしてみての分析であって、彼女等の主観が多分に入り込んでいるとはいえそれなりに信頼性があるとも言える)、実際は良く分からない。私自身も何度かそういった状況に陥ったが、それだけじゃなく件の友人や別の友人の話を聞き、「〜人」というイメージで他人に近付いたり他社を語ったりすることに、何となく嫌なカンジがしているのである(ちなみに「別の友人」のパターンが今まで聞いたなかで最悪なものだが、彼にその(多分に問題アリな)女性を引き合わせた責任は幾分か私にあり笑、申し訳ない思いを日々している)。


とは言え、男女問わずメキシコ人と交際している人でも、毎日がバラ色的な生活を送れている方々は沢山いる。ただ、最近身の回りでこの様な醜悪な例が続いたために、ここで引き合いに出しただけであって、決して「メキシコ人女性」のイメージがそうだと言ってるわけではない。と言うか、普通に最初から読んでいただければその様な誤読の可能性はないと思うが、保身も兼ねて笑、一言付しておく。更にアジア系なんて相手にしない、という方も勿論いる。出発点に戻るが、実際は「メキシコ人」という「ある」イメージの近似値的一般化の枠からはみ出している人が殆どなのである。時に均質な「メキシコ人像」を垣間見せる時は、集合的アイデンティティというか、自ら型にはまり込んでいるのではないか、とも思うが、この話は更に長くなりそうなのでまた機会があったら書きたい。


最後にメキシコの魅力について。メキシコと言っても私はメキシコシティと南部の幾つかの街しか知らない(スペイン語のconocer的な知る、の意味)ので、メキシコ一般を語るにはおこがましいが、若輩者なりの魅力を語らせて頂くと、最大の魅力は料理だろう(オイオイ笑)。いや、旅行にしろ留学にしろ、ある国に住む際に重要なものの一つはこの食というものだ。メキシコはその点では、他国より数段勝っている。ここからは主観がかなりはいったものになるが、次に挙げ得る魅力は社会的なものだ。「征服」という歴史を有するため、メキシコ社会の構成員は元々多用だったが、近年ではより多様になってきている(私自身、多様性を構成するファクターの一つではあるのだが)。「日本は単一民族国家だ」等と言った政治家がかつていたが、そんなことはなく日本社会もまた多様ではある。しかしメキシコの多様性はより目に見えるカタチで存在し続けている。そんな社会の、入り組んだ構造、絡み合った文化というのは、知れば知る程好奇心をくすぐること間違いないだろう。またこれは国内だけではなく、対外関係においてもそうだ。ラテンアメリカとの関係、アメリカとの関係、カストロ以後のキューバとの関係、旧宗主国であるスペインとの関係、他のヨーロッパ諸国、台頭する中国とのとりわけ経済面における関係、FTA自由貿易協定)が発効した日本との関係等、色々と面白い。特に今後はアメリカ、ラテンアメリカとの関係が更なる局面を迎えそうな雰囲気で、これも知れば知る程面白みが増すだろう(と、実はそれ程色々と分かっていないくせに語ってみた笑)。これら以外でも、もっともっと色々な魅力がある。と言うか、メキシコが好きだったりメキシコに興味がある人にとっては、メキシコで暮らすこと自体、ある意味大きな「魅力」と言えるだろう。


以上をもって返答とさせて頂く(あまり大した答えになってなくてすみません>Kotaroさん)。実際にお会いしたことがない方と、この様なカタチで接触できること、これこそがネット社会の最大の利点であると私は思う(時としてこれが欠点と堕してしまうのだが)。以前も書いたとは思うが、Kotaroさん以外の方でもメキシコ及びメキシコ留学について何かご質問等あれば、コメントなりメールなり、連絡頂ければそれに答えたいと思っているので、気軽に連絡してください(勿論Kotaroさんも、更なるご質問等ありましたら、是非)。それ以外にも、特に励ましのコメントは随時受付中です笑。

*1:前回もちらっと触れたが、私の母校は田舎の公立校にしてみればかなりリベラルな高校だった。進路教育もまたリベラルで、進路を考える授業が三年間を通じてあった。入学当初はスクールカウンセラーになりたいと思っていた私だが、三年間の様々な出会い・経験を経て、今進みつつある道へと歩先を変えたのだった。

*2:高校時代の後半にかなり英語にハマっていたのだが、その時は高校にいたネイティブの先生を捕まえて会話の相手になって頂き、そのおかげで口語力が人並みについた。この経験から、日本に居ながらでもそれなりに語学力をつけることは可能だ、とかつては思っていた。しかしそのために必要な要素を一つ見落としていた。それは、一定以上のコンスタントな努力、である。当時はそれなりに(しかも半ば無意識に)力をいれていたために気付いていなかったのだと思うが、大学入学以後の慢性的な努力失調症を患ってからは笑、この最も基本的且つ必要不可欠な要素の存在を強く意識するようになった。

*3:実際そういう場合に日本人と言うと、ゲーム等の影響のせいか、「おぉ日本人か、だったらプレステとかやる?アニメも見るっしょ?オレあれが好きでさ〜」等と言われることがある(ゲームやアニメの話には全くついていけない笑)。何というか、こういう「現金」な人は結構嫌なので、適当に流して立ち去っている。