カンペチェ、そして終着点に向かって


20日、一週間近くもお世話になった知人宅を出て、カンペチェへと向かう。この時には体調も完全に回復していた。バスの中では旅立つ前に買ったDiego Torresの"MTV UNPLUGGED"を聞きながら*1、南国の風景に見入っていた。


カンペチェに着き、ソカロに面するホステルに宿を決める。荷物を置き、すぐに街へと繰り出す。カンペチェはスペインによって初めに作られた要塞都市と言われている。そのために、街の中に数々の砦がある。宿の近くからそれらを一つ一つ回った。かつての要塞都市の面影を現在に伝えるそれらの砦は、しかし、今では海鳥達の羽根休めの場となっている。


宿ではベルギー人の旅行者二人と出会った。フランス語を母語とする彼等は、二人とも高校を途中で辞めて働き始め、その仕事によって貯まったお金で中米を旅行しているとのこと。「英語は勉強しなかったけどスペイン語はちょっとやったから、アメリカじゃなくて中米を周ってるんだ」と言っていたが、「ちょっと」勉強しただけで長期旅行するのに困らない程度のスペイン語力を身につけることができるのは、やはりロマンス諸語を母国語とする国に住む人々の特権だろう。フローレスで会ったイタリア人カップルもそうだった。その気になれば難なくスペイン語からフランス語、イタリア語、ポルトガル語…と進んでいける彼等のことを思うとやはりうらやましい。それまでの旅のこと(彼等のうちの一人はグアテマラマラリアの一種にかかったらしい、が、何事もなかったかのように旅を続けていた笑)、カンペチェ周辺のこと等を話し、お互いに情報交換をする。旅先ではこういう「生きた情報」が何よりも活きる(ごくたまにハズレもあるが、その可能性は話しながら相手を知っていくうちに予測できるものだと思う、例えばスペイン語が全く話せない日本人の方々が語る「ここが変だよメキシコ人」的情報の大方は(ハッキリ言って)的外れである)。


夜はユカタン名物のPan de cazon(パン・デ・カソン)というシーフード料理を食べる。やはりおいしいものにはそれなりの金額を(たまには)払うべきである。美味い料理にペプシ(流石に「あの」メリダの後なので、アルコールは自粛笑)で空腹を満たし、ソカロで若者達が踊っていた民族舞踊を見て、この日は早々に床に就く。


21日は近郊にあるEdzna(エズナー遺跡)へと向かった。ホステルの25ペソで荷物預かり&シャワー他の設備の使用可、というサービスを朝に頼み、乗り合いタクシー乗り場から一時間程で遺跡へと到着する。エズナーはアクセスが悪く、知名度が低いので、あまり旅行者に人気がある遺跡ではない。しかし、メリダで友人に薦められたこともあり行ってみたのだが、話に聞いていた通り素晴らしかった。殆ど人もいなく、飲み物や地図すら売ってなかったが、逆にそれが良かったとも言える。修復具合も思ったより良かったし、ここで出会った人々は皆親切だった(が、本当にアクセスが悪いので、ここに行く場合は現地で十分な下調べをすることを薦める)。



カンペチェではかなりバカにされた(例の、アジア人に対するもの)が、やはりこういうこじんまりとした綺麗な街は「ツボ」だ。しかし、美しい街並みに魅了されつつもこの後の旅のことを思うと、次なる目的地からメキシコシティまでは数時間の距離となることに気付いた。まだまだ続くと心のどこかで思っていたこの旅も、もう終わりに近づいている。そんな思いを抱きつつ乗り込んだ夜行バスは、私達を乗せて静かにベラクルスへと近づいていた。

*1:我ながら渋いようでミーハーなチョイスである笑。