「メリダ最高!」


15日の夕方、チチェンを見た後メリダに到着した。メリダでは知人の家に厄介になることになっていたため、またその他にも数人の知人がいるために、当初から数日間ゆっくりしていこうと考えていた。旅の予定が大幅に削られたため、のんびりする時間も十分過ぎる程あった。


知人宅に到着後、早速メリダの郷土料理であるPanuchos(パヌーチョス)を食べに行った。これはトルティージャ(タコスの皮)の中にフリホール(黒豆)を混ぜたものを揚げて、その上に具を乗せる、というものだ。やはり本場のものは美味い。パヌーチョスに舌鼓を打ちつつ、募る話で盛り上がりながらこの日の夜は更けていった。


翌16日はCOLMEXでも私生活でも(よく家にあがりこんではご飯をねだっているので笑)お世話になっている方(仮にYさんとしておく)が、研究のために滞在していたチアパスからメリダに遊びに来て、共に知人宅にお世話になることになっていた。朝方に到着するとは聞いていたが、しかし、どうもメリダの前に立ち寄ったパレンケで食べたパストール(スタンダードなタコス)に中ったらしく、今にも消え入りそうな声でまだ熟睡していた私の元にSOSの電話が入る。事の成り行きを聞いて、知人宅から徒歩数分のところにあるバスターミナルまで迎えに行く。いつものYさんは気丈で私と共にバカ話(いや、大半はどうでもよい話を私の方からしているのだが笑)に興じているので、この時の変貌振りにはちょっと驚いたが、何とか知人宅まで案内し、取り合えず横になって休んでもらう。Yさんには申し訳ないがこれと言って看病をする必要もなさそうだったので笑(いや、一応本人もそう言っていた)、「お大事に」の一言だけを残して*1メリダ散策へと出かける。


メリダはそれ程大きな街ではないので、午前中のうちに市内を大体見て周れた。この日も街中で(カンクンの時の様に)何回か声をかけられたが、同じ轍は二度も踏まない。一見して明らかに「その手の方々」は全て無視し、余計なストレスを溜めずに済んだ。午後からは別の友人と会い、またまた募る話で盛り上がる。その勢いのまま帰宅し、何とか復活していたYさんも交えて軽い宴会を開く。その後はYさんにベットを乗っ取られたため、生まれて初めてハンモックと言うもので眠った(実はちょっと憧れていた笑)。慣れない人は酔うかもしれないと言われたが、背中を蚊に刺されたこと以外は何も問題なかった(メリダでは二月でも蚊が相当いた)。


明くる17日はYさんと共に近隣のUXMAL(ウシュマル遺跡)に行く予定だった。が、二人とも寝坊し笑、また洗濯物を頼んでいたりしたために十二時発のバスに乗り遅れ、次のバスが出る三時まで待たなければならなくなった。何とか時間を潰し、三時のバスでいざ向かうも、メリダ市内を出たあたりでバスが何かに乗り上げてタイヤがパンクしてしまった。大型バス(二等バス)なのでタイヤが一つくらいパンクしていても走る分にはどうってことはないのだが、ピックアップトラックにも余裕で抜かれる程のスピードしか出ない。一時間弱で着くから、閉館の五時まで急いで回って〜等と考えていた私達の夢を打ち砕く様なこの一連の流れは、しかしまだ終わっていなかった。時間が僅かでもとりあえずピラミッドだけは見てこようと話していた私達を乗せたバスは、ウシュマルの村に入ったところで停止した。何でもこのバスはカンペチェ(近隣の街)まで行くので、この辺でパンクしたタイヤを取り替える、所要時間はざっと一時間、とのこと(恐らく村から遺跡までは数分程度)。唖然としつつも、仕方がないのでウシュマルの村の中を歩き、バス乗り場で今さっき来た道を帰るためにバスを待った。これはリサーチ不足&数々の不手際という、油断がもたらした災い以外の何物でもなかった。


失意の中Yさんと共に帰宅し、お世話になっている知人宅へのせめてものお礼として夕飯を作ることにした。何を隠そうYさんの料理は美味く(ヨイショしときますね笑>Yさん)、私も負けじと横から口を出し、ワイワイ言ってる間に料理は完成していた。例の如くビール等を飲みつつ、昨晩同様に色々と話していると日付は既に変わっていた。


18日は朝(と言っても十時頃)から知人の車でメリダ郊外にあるDzibilchaltu'n(チビルチャルトゥン遺跡)に向かった。この遺跡自体はこじんまりとしているのだが、遺跡内にcenote(セノーテ、辞書によると「洞穴井戸」の意だそうだが、まぁ小さい湖みたいなものと考えられる)があり、しかもそこで泳ぐこともできる。暑かったこともあり、一同でしばし水に浸かっていた(しかし、セノーテは昔生贄を捧げるための場、つまり若い女性を放り込む場として使われていたと言われてるのに、私を含め皆普通に泳いでいるというのはやはりちょっと変かもしれない…)。



その後、チビルチャルトゥン遺跡内の売店で姪っ子へのお土産を買う(この時まだ生後三日、バカ叔父ぶりも程々にしろと言われそうだが笑)。この旅で、メリダの知人や日常的にお世話になっている方々にはお土産を買ったが、身内には何一つ買っていない(七月に北部を旅した際に買う予定だったので)。だが、やはり可愛い可愛い姪っ子は別である。サイズ等全く分からないので売店の方(事情を話したら値下げしてくれた!)の勘を信じ適当なものを選んだ。



その後、Progresoというメキシコ湾が一望できるビーチに向かった。このビーチはメリダ界隈の若いカップルのデートコースとして有名らしい(確かにどことなくオシャレな雰囲気を醸し出していた…様な気がする笑)。流石に泳いだ後で皆疲れていたので、まず昼食(+ビール笑)にし、その後はビーチの隅でぼーっとしていた。この時に食べた魚(何かは忘れたが、比較的大き目で、二尾をまるまる塩焼きしたもの)は美味かった。運ばれてきた傍から貪りつく私達の姿は多分異様だっただろう笑。



日光浴後、一旦知人宅に戻った。この日の夜はメリダにいる知人(とその友人知人)が一同に介する会(つまりは飲み会笑)があった。Yさんはこの日の夜にパレンケ経由でチアパスへ戻る予定だったが、バスの時間まで飲んでいくとのこと。私も翌日にカンペチェへと発つ「予定」だったので、まずチケットを買いに行き、飲み会の会場へと向かった。会場となったビアガーデンは1リットルのビールを40ペソ(400円)程で出す所だったのだが、一緒に飲んでいたメキシコ人(仮にMさんとしておく)がバカンス気分全開でハジケている私に「飲み比べ」を挑んできた(多く飲んだほうが勝ちで、負けたら二人分を払うというルール、勿論戻したら負け)。メリダの熱気にすっかり頭をやられていた私は笑、翌日のことなど考えずに挑戦を受け、例の1リットルビールを揃って注文する(下の写真では分かり辛いが、これが1リットルのジョッキである。あくまでも感覚だが、日本の大ジョッキよりちょっと大きいくらいだった)。



日本ではそこそこ飲める方(と言うよりもそれ程酒に強い友人が周りにいないので、相対的に、という意味だが)なので、まぁビールくらい、しかもメキシコの軽いビールだし、と当初は考えていた。しかもMさんは友人と話すのに夢中で、あまり飲んでいない。ここはスタートダッシュで差をつけ、あとは相手と同じペースでいけば…という作戦を立て、快調に飛ばす。もうそろそろバスに乗らなければならないYさんに、「俺の注いだ酒が飲めないのか」的なノリで行くな行くなと無理を言ったりと笑(勿論冗談)、絶好調だった。スタートダッシュが功を奏したのか、開始後30分〜40分でジョッキ三杯(3リットル)を流し込み、Mさんに1.5リットル差をつける。さて後はこの差をキープするだけ…と思って四杯目に手を伸ばした瞬間だった。私の体は一切のアルコールに対する拒否反応を示し、そればかりか体内にアルコールが残存することすらも拒否し始めた笑。3リットル分、計120ペソ(1200円)を購入して間もなく返品する羽目となった(かなり困るカタチでの返品だったなぁ苦笑)。高校を卒業してからは*2この様なバカな飲み方は控えようと誓っていたのだが、またやってしまった。恥ずかしい限りである。メキシコ人は殆ど気にせずに笑いながら飲み続けてくれたので良かったが、日本人の方々にはかなり心配をかけてしまった。もう21なんだし、そろそろこういうバカはやめなきゃなぁと思いつつ、知人に担がれてこの日は帰宅した。


19日は果てしないだるさで目を覚ました。このままバスに乗っても余計気持ち悪くなるだけなので、この日の移動は(バス代共々)諦め、友人宅で安静にさせてもらった。途中知人が外出している間に、昨晩の件を心配した友人が見舞いに来てくれた。その頃にはもうすっかり良くなっていたので、己が不明を恥じている旨を伝える(そして、元気になったと分かった瞬間に大爆笑される笑)。その後は送られてきた姪の写メールを見てわいわい言いながら、静かに過ごした。


と、本当に色々あったメリダ滞在だが、とても楽しかった、ということは言うまでもないだろう。温暖な気候、小さくも綺麗な街並み、郊外の遺跡やビーチ等、暮らしてみたくなる要素が満載だった。「こんなところに暮らしてたら(良い意味で)頭が腐って勉強なんか絶対しない」と言ったのはYさんだが笑、一理あるかもしれない(確かに勉強する気にはあまりなれないだろう)。


最後に、潰れる前にビアガーデンで放った言葉を。「メリダ最高!」。

*1:これには話し出すと長くなる複線がある。日本にいた頃、特に大学入学後一人暮らしを始めてからは、風邪らしい風邪すらひいたことがなかった私だが、メキシコに着てからもう既に二度も病院にお世話になった(一度目は到着直後、二度目は一月に風邪をこじらせた時)。そのためか、親しくしていただいている方々の間では既に私の「病弱キャラ」というものが定着してしまった。これは汚名以外の何物でもない(と言うか(以下強調)たまたま体調を崩しただけ!)ので笑、これを払拭せんと日々励んでいる。この時の「お大事に」には、そんな深い含意があった(勿論Yさんも理解してくれていて、後から笑っていた)。

*2:もう時効だろう笑。