太陽と埃とピラミッドの街、パレンケ


5日の早朝にサンクリを出て、同じチアパス州のパレンケへと向かった。サンクリ〜パレンケ間は賊が出るので有名らしく、夜間の移動は避けた方が良いと言われている。そのため昼間でも何かあるかもしれないと不安だったが、幸い大きな事件に巻き込まれることはなかった。ただ、途中で先住民系の方々が独自の検問を張っていて、道行く車から通行料やゴミ焼却料(旅行者が捨てていったゴミが溜まっているそうだ)を取っていた。殺伐とした雰囲気はバスの中までも十分伝わってきた。


パレンケに到着し、宿をちょっと贅沢をして一泊150(約1500円)ペソのポサーダに決める。メキシコ国内では、比較的物価の安い南部ということもありホテル代の上限を一泊100ペソと考えていたのだが、予定が前倒しになっていたことと翌々日から国外に出るのでゆっくり休んでおこうと思ったため、ホットシャワー&トイレ&テレビ付きという、メキシコで考えたら「下の上」から「中の下」レベル(笑)の部屋にした。


パレンケは遺跡で有名だが、街自体はこじんまりとしていて、他に見所らしい見所はない。しかし、小さな街の良さとでもいうものが確かにあり、それが非常に居心地の良いものだった。ちょうど土日にかけて滞在したためか、夜は街の真ん中の広場に人が集まり、夕涼みをしていたり若者のカップルがデートしていたりと、人々がやけに気張ってないカンジが良かった。


遺跡には日曜日の午前中に行った。遺跡にはコレクティーボ(乗り合いの小さなバス)で向かったのだが、途中で面白い光景を目にした。遺跡が近くなってきた辺りで、遺跡内や遺跡の前で物を売る先住民系の人々がコレクティーボに乗ってきた。しばらく行くと、旅行者らしき欧米人がコレクティーボには乗らずに坂道を額に汗しながらせっせと登っていた。それも、一人のみならず何人も。ここからは私の推測も交えて書くが、そういった欧米人旅行者の方々がコレクティーボを拒否し山道を歩いて上るのは、おそらく遺跡というものに前近代的な何かを見ようとしているためではないだろうか。近代が失ってしまった何か、それがここにはある、と。そしてそのイメージを先住民系の人々に重ね合わせる。しかし、彼等が見ようとしているものは既にない。イメージの担い手とされた方々が車で遺跡へと向かう中、せっせと坂道を登っている彼等、このコントラストは旅行者が抱くプリミティヴィズム(原始主義・尚古主義)と現実の乖離を示している様に思えた。これは個人的に感じただけで、実際その時に山道を登っていた人に聞いたわけではない。しかし、旅の先々で出会った旅行者(欧米人だけでなく、私達日本人、アジア人もまた然り)の話を聞くと、そうではないか、と思わせられたし、私自身そういう思いが微塵もなかったと言えば嘘になる。またどこかでこんな話を読んだ覚えがあるなと思っていたのだが、やはり以前ちらっと読んだ今福龍太氏『クレオール主義』(ちくま学芸文庫)の中にプリミティヴィズム論というのがあった。余談だが(って全部余談だけど笑)この本は文体が綺麗なのだが内容が難しく、今まで完全に読み切ったことはなかった。たまたまこの旅にこの本を持っていってたのだが、何故か今回はすんなりと読めるところが多かった。これは旅が持つ様々なファクターをこの本が扱っているためかもしれない。


遺跡自体は規模も大きく、壮観だった。実はメキシコ国内の学術機関に所属していると、遺跡や博物館はタダになる。そのおかげで殆どお金を払わずに様々な遺跡や博物館を回ることができた。遺跡ばっかり見ていて飽きないか、とも思われそうだが、それ程飽きないものである(流石に毎日毎日遺跡というのは、ひたすら歩き回ることになるので足が辛いが笑)。そう、この旅でお世話になったのは遺跡とコロナ(メキシコのビール)なのである。私は晩酌的な習慣はなく、お酒はたまに誰かと飲む程度なのだが、旅の最中はよく夜に一本か二本、ビールを飲んでいた。やっと訪れた休みなので、これくらいは許されるだろうという甘えがあったためだが、この甘い考えが後に災いをもたらすことにもなった(詳しくは後のメリダ編で)。



かくしてメキシコの中心・メキシコシティから国境付近までは何事もなく南下することができた。この時はまだグアテマラ横断&ホンジュラスのコパン遺跡行きを考えていたのでまだまだ先は長いと思っていたが、実際はこの時既に全行程の四分の一を終えようとしていたのだった。


クレオール主義 (ちくま学芸文庫)

クレオール主義 (ちくま学芸文庫)