旅の出発点、オアハカ


2月1日、夜11時発の夜行バスで向かったのは、オアハカという、今回の旅最初の街だった。オアハカメキシコシティからバスで六時間程の距離の、コロニアル情緒溢れる南部高原都市である。2日の早朝、まだ日も昇らない頃に到着し、辺りが見回せる程の明るさになるまでターミナルの中で遣り過ごした後、中心部のユースホステルに向かう。荷物を置き、その足で街の中へと繰り出す。


当初は夜行明けのためにこの日はあまり回れないかな、と思っていたが、殆ど疲れもなかったために、午前中のうちに近郊のMonte Alba'n(モンテ・アルバン遺跡)に足を運ぶことにした。サポテコ人によって築かれ、その後ミステコ人が埋葬の場として利用したとされるこの遺跡は、天文台や球戯場、レリーフ等、当時の文化を窺い知ることができる建造物が多い。一通り見て回った後、南にあるピラミッドから遺跡全体を眺めていると、たどたどしい英語で先住民と思しき男性が話しかけてきた*1。何でもこの男性は遺跡近くの畑でとうもろこしを作っているらしく、農作業中に見つけた小さなレリーフの様なものを買わないか、ということだった。にわかには信じがたかったが笑、とうもろこしと何らかの関係を持つ研究をしている方が身近にいるので、お土産ということで(事の真偽は問わないことにして)購入した。



その後市内に戻り、ソカロ(町の中心部にある広場)、サントドミンゴ教会、博物館、ベニート・フアレスの家等の見所を見て回った。オアハカに限らずその後に回った街でもそうだったのだが、地方都市のソカロはメキシコシティのそれと比べると規模は全然違う。ステイ先からすぐのコヨアカンのセントロ(≒ソカロ)と比べても小さいのではないか、と思う程の規模である。しかし個人的にはそういうこじんまりとした街の方が落ち着けるので、歩き疲れるとよくソカロのベンチに佇んでいた。また、私自身の研究の話になるが、ソカロ周辺のインフォーマルセクターの数や種類といったものの違いが目に付いた。メキシコシティのソカロには実はあまり足を運んだことがないのだが、近所のコヨアカンのセントロと比べると、数の面ではやはり少ないし、業種も街によって偏りが出ている。こういったことに気付けたのも旅の収穫だったと思う。


明くる3日も前日同様、朝から精力的に動いた。予定を一日前倒しにしてこの日の夜に次なる目的地であるサンクリストバル・デ・ラス・カサス(以下サンクリと略)に発つことにしたためにバックパックをどうしようかと思っていたのだが、宿泊したユースホステルで無料で預かってくれるとのことで、荷物を預けて近郊へと向かう。まず初めに、「アメリカ大陸最大の木」と言われる"El arbol del ture"(「トゥーレの木」)を見に、El Ture(エル・トゥーレ)という村を目指した。



この村ではちょっとした出会いがあった。大木とその周辺を見学し終え、次なる目的地であったYagul(ジャグール(又はヤグール)遺跡)に向かおうとバスを待っていたのだが、次々とやって来るバスを片っ端から停めてジャグールに行くのかと聞いても、返ってくる答えはNoだった。そんなことをしばらく繰り返していると、突然身なりの整った男性に話しかけられた。ジャグールに行きたいんだけどバスが中々なくて、と言うと、バスを捕まえるのを手伝ってくれるとのことだった。当初はいささか猜疑心の様なものを抱いていたというのが本音である(実際そういった手口で強盗等の被害にあった人の話を聞いていたので)。ただ、全然来ないバスを待ちながら話をしているうちに、彼がガイドの仕事をしていること*2、彼の母親は日本人で、父親は先住民系の出自であることが分かった。スペイン語命名の慣例に従えば子供は父方と母方それぞれの父方の姓を受け継ぐ(例えば、
    名 / 父方の姓 / 母方の姓
父 :Juan Antonio / Garci'a / Pe'rez
母 :Mari'a Jose' / Ruiz / Montesinos
子 :Jose' Luis / Garci'a / Ruiz
となる。(某大学スペイン語研究室、スペイン語一年教科書(2002年度版)より))。彼は自分の身分証を見せ、「ナカムラ」という母方の姓を指してニッコリ微笑み、「ナカムラ」という姓にまつわる諸々の話を聞かせてくれた(初めは誰もちゃんと発音してくれない、等)。日本語は全く分からないけれど、部屋の壁に貼りたいから日本に帰ったら日本語で手紙を書いてくれ、と言い、住所を渡してくれた彼のおかげで、その後ジャグールにも無事着くことができた。エル・トゥーレの村で会ったナカムラさんは、この旅で出会った数々の人の中でも、最も(良い意味で)印象に残っている。


そんなこんなで辿りついたジャグールは観光客にあまり人気がないのか、遺跡敷地内には私と管理人の方ともう一人の旅行者と思しき方と彼が雇っていたタクシーの運転手の方の四人だけだった。そのおかげでゆっくりと見学できた。そういう意味ではここはオススメ(私自身もこちらに来ている大学の先輩から薦められていた)なのだが、バスを降りてから遺跡までは何もない一本道を二キロほど登っていかなければならないので、その辺りは覚悟が必要かもしれない笑。ジャグールの後はMitla(ミトラ遺跡)に向かった。ここでは前日行ったモンテ・アルバンで見かけた学生の団体に会い、そのうちの一人が何故か私と話したがっていたらしく、引き止められてしばし談笑した。彼等はメキシコに留学している高校生のグループ(どこかの留学機関のものだったと思う)で、しかも殆どが英語圏の出身らしく、スペイン語やら英語やらが入り乱れた会話の果てに、"each pai'ses"等と口走ってしまった*3。その後ベリーズで嫌と言う程思い知らされたのだが、この時初めて、私の中で今も着々とスパングリッシュ化が進んでいるということに気付いた。嬉しいような悲しいような、である。ジャグールもミトラも、遺跡は比較的こじんまりとしているが、見所は多かった。



その後は街に戻り、夜行でサンクリに向かった。出発点のオアハカにこんなに頁を割いてしまったのは、この旅で一番気に入ったのがオアハカだったからだろう。あまり時間がなく、ティアンギス(周辺の村で開かれている市)やイエルベ・エル・アグア等、他にも行きたかった所に行けなかったのは残念だったが、オアハカは是非ともまた行ってみたいと思える、そんな街だった。

*1:この後すぐにスペイン語へと移ったのだが、サポテコの言葉を母語とする彼にとってみればスペイン語第二言語であり、あまり得意ではないと自ら語っていた。私個人としては、究極的に人間の多様性は認められて然るべきだと思っているので、三つの言語を操るサポテコ系のこの男性の存在は、色々な意味で興味深かった。

*2:エル・トゥーレからジャグールやミトラへ向かおうとしている観光客(主に欧米系の、英語は話せるがスペイン語は解さない方々)をピックアップする仕事、と話していた様な気がするが、何分もう一月以上前の話なので記憶は曖昧である。

*3:英語で話していた際に口をついたのがこのフレーズなのだが、eachは英語、pai's(pai'sesは複数形)はスペイン語で「国」(=country)という意味である。