People around me


長かったCOLMEXの前期セメスターも本日で終了し、正規の学生達がテストで苦しむのを尻目に私達はしばし自由の身となった笑。最近しつこく書いている様に2月は旅行に出るのだが、プレゼンが終わり旅行の話が具体性を帯びてくるとあまり他の事が手につかなくなってしまった。読書も勉強もあまりできていないが、まぁこれはこれで仕方がない(と自分に言い聞かせている)。本当ならば今日出発の予定でいたのだが、私達奨学生のメキシコ側の受け入れ先機関(=奨学金の支払い元)であるCONACYTが今月分の奨学金をしっかり払ってくれなかったために*1、月初めの奨学金支払い日まで資金待ちとなった。カードを持っていけばそれで済むのだが、奨学金用のカードを持ち歩くのは危険なので(他のカードは念のため持っていくが)、数日待つことにした。


一ヶ月間の旅行には、これも同様に安全面を考慮してのことだが、日本の家族との連絡用で持ってきたグローバル仕様の携帯(ボーダ○ォン)は持って行かない予定でいる。故に、来月は色々と連絡が取れなくなる。そしてこういう時に限って色々と「行事」が舞い込んでくるものである。中でも一番重要なのは姪が生まれることだ。今抱いているプランにある程度沿ったカタチで物事が進んでくれれば少なくとも二十代のうちに私自身が人の親になることはないと思う(もっとハッキリ言えば、今歩んでいこうと思っている幾つかの道のどれを選択しても、一人前に親として子供を養えるようになるには少なくともそれくらいの時間はかかる、ということである)。だからと言うわけではないが、来月生まれてくる兄夫婦の子供には何だか格別の思いがある。しかも女の子だそうで、私も両親も(勿論兄夫婦も)もう溺愛決定、であろう笑。


それと同様に重要なのは、従妹の大学受験である。親戚一同の中では私が一番受験を経験してから日が浅く(と言ってももう三年経ったが)、何かとアドバイスしてあげるべきではあったが、こうしてメキシコにいる上に当時のことはもうあまりよく覚えておらず、何もしてあげることができなかった。センター試験後に本人からメールは来たが、本当に応援することしかできない、情けない「兄」である*2。「兄」と書いたのは、私にとって彼女は「妹」の様な存在であるからだ。お互いの家が隣で、小さい頃は顔を合わせる度に喧嘩をしていたためによく祖父母にしかられていた。しかしお互いが成長するにつれて衝突することは全くなくなり、それどころかどことなくマセた「妹」に、時には心配したりする様になった。彼女がどう思っているかは別として、私は彼女を、血は繋がっていないけれども、「妹」だと思っている(更に言うと、私と兄、彼女と彼女の姉を、どことなくバランスの取れた四人兄弟姉妹だとすら思っている)。大学後のことも見据えて頑張る彼女を直に励ましてあげられないのは心苦しいが、頑張ってほしいという思いだけは常に抱いているのは事実である。遠く異国の地から「妹」の健闘を心より願っている。


旅行の計画を立てたり読書したりするのに近所のカフェをよく利用するのだが、そこで知り合った一人のチリ人のミュージシャンがいる(メキシコではカフェやレストラン、はてはバスの中でも、ギター片手に何曲か歌って小銭を稼ぐ方が少なくない)。何度か顔を合わせるうちに知り合いになり、私も以前バンドで少し歌っていたことがあるので、そのことを話したりするうちに声を掛け合う仲になったのだが、今週の水曜に彼はチリに帰ってしまった。先週末に会った際、突然いつまでいるのかと聞かれ、来年の8月までいると答えると、彼が今週の水曜に母国に帰ることを告げた。その次の日にまた同じカフェで会った時には私の真ん前で何曲か歌ってくれもした("Esta's en la primera fila"(「お前が一番前の席だよ。」)と微笑みながら言っていたのが印象的だった)。どうやらプロのミュージシャンらしく(と大分前に話していたが、記憶が曖昧である)、歌が下手な流しのミュージシャンにはチップをあげない主義の私も毎回幾らか(1〜2ペソ(約10〜20円)と小額だったが)渡していた程、彼の歌にはどこか聞かせるものがあった。深い仲でもなかったが、もう会えないかと思うと物悲しい。


音楽に関してはもう一つ悲しいニュースがあった。高校時代、友人に薦められてからずっと好きだった、HUSKING BEEというバンドが解散するとのことだ。退院して家に着いた時に別の友人から携帯宛にきていたメールでこのことを知ったのだが、寝耳に水だった。最近の彼等はどんどん音楽性の幅を広げていて、とりわけ初期の「GRIP」、「PUT ON FRESH PAINT」、「FOUR COLOR PROBLEM」の三枚に影響された自分には完全にフォローできていなかったのも事実だが、それでもCDは出る度に買っていた。ライブには結局「FOUR COLOR PROBLEM」のレコ発(CDを出してすぐに行うツアー)にしか行けなかったが、バンドT等は随分買った。メキシコにいなかったら解散ライブには間違いなく行っただろうが、まぁ今更何を言っても仕方がない(この辺りの、何事も"Ni modo"(「仕方がない」)で済ましてしまうのは私がmexicanizado(メキシコ化)されている証拠かもしれない笑)。


今回のタイトルの「People around me」は上記の「PUT ON FRESH PAINT」に収録されている曲の一つから取ったものである*3。この曲の中で次の様な一節がある。

Every time I see them, I feel encouraged
Something inside me is moved by the people around me

どこにいようと、またその人との繋がりがどんなものでも、おそらくこういうことは起こるのだと思う。HUSKING BEEの解散が直接影響したわけでもなく、ここ数日の身辺雑記を考えているうちに、私の「People around me」について、私は何故だかふと思いを巡らせたのだった。


PUT ON FRESH PAINT

PUT ON FRESH PAINT

*1:はっきり言ってこの機関には種々の問題がある。奨学金も決められた額通り支払われたことは二〜三度で、あとはいつも足りなかったりする。今月は通常の額の三分の二程度で、確認した時は思わず苦笑してしまった。何か問題が生じるとその度に折衝役の方に出向いていただいているのだが、本当に骨の折れる仕事を半年も無償でし続けているその方には、おそらく私だけではなく他の奨学生の方々も、格別の感謝の念を抱いている。

*2:しかしこの情けない「兄」っぷりは今に始まったことではない。もうだいぶ昔のことだが、祖母と一緒に三人で近所のスーパーに行った際、帰りに二人でアイスを買おうということになった。その時彼女はメニューにないクリームソーダを頼もうとしたのだが、私はただメニューにないからといって違うものを頼めと(まだ幼かった)彼女に言い、泣かせてしまった思い出がある。幸い店の方が特別にクリームソーダを作ってくれたのだが、あの時も「兄」として、例えば店の人に自ら頼むとか、何かしらできることがあったのではないかと今にして思う。昔からこんなに情けない「兄」で彼女には悪かったと思っているが、それは年を幾つか重ねた今でも変わっていない。

*3:今でもこの「PUT ON FRESH PAINT」と「FOUR COLOR PROBLEM」の二枚は私のお気に入りであり続けている。それくらい名盤なのだと私は勝手に思っている。