距離感と速度


大学が始まり、もう一ヶ月近く経つ。授業ではこれ以後の予定等が決まっていっているのだが、年明けに私もプレゼンをすることになった。


メインのテーマは「インフォーマルセクター」である。授業で散々扱った「グローバリゼーション」についても多少言及しておかなければならないだろう。これに、社会思想やら開発理論やらを交えて、上手く煙に巻ければしめたものである笑。


とは言え、実のところ相当真剣に取り組もうと思っている。それは、こういったテーマとはこれ以後も、卒論やらその後の進路やらで付き合っていこうと思っているからである。そのために、僅かではあるが既に準備に取り掛かっている。これは、アカデミックなレベルでのスペイン語に(も)問題があるため、早めに草稿を日本語で書き上げ、スペイン語に直す時間を多く取るためである。


文献は、スペイン語のものを読み漁れればいいのだが、現時点では数冊(予定としては三冊)が限度であろう。それでは到底足りないので、手持ちの邦語文献からも数冊ピックアップした。しかし、弱い部分がまだまだ目に付く。仕方がないので、その不足分(と、気になったもの何冊か)をアマゾンで取り寄せることにした。


ウォーラスティンやJ・F・リシャール、ジェフリー・G・ウィリアムソンから内田樹、岡真理、三砂ちづるまで、一風変わったラインナップではあるが、発送の知らせを受けてから三日程で手元に届いた。これは日本の一部地方に送るのと何ら変わらないスピードではないだろうか。


電話やメールにしてもそうだが、自分の中にある距離感を、これらのものの速度は軽く凌いでいる。それらのサービスに関してはありがたい限りなのだが、たまに、自分が本当にメキシコにいるのかどうか、良く分からなくなる。以前伊豫谷氏を引いた際も書いたが、グローバリゼーションとはこういう、一定地域・階級における意識の同質化をも意味する。それは分かっているのだが、自分がその渦の中にいる、と、これ程までに意識させられると、やはり何だか変な感覚である。


何はともあれ、大体の文献は揃った。文献類の中でも批判的に取り込んでいこうと考えているものやら視点を援用しようと思っているもの等、様々でまだ固まりきっていない。少しずつ、絞り込んでいこうと思っている。