ゆっくりと、力強く


人と顔を合わせるたびに言われる、"Como esta's?"(コモ・エスタス、調子はどう?)というのは、ニュアンス的には日本で言うところの「よぅ」や「おぅ」といったところである。答え方のバリエーションを増やそうと思いつつも、いつも差し障りのない"Bien"(ビエン、いいよ)と言ってしまいがちである。


とは言え、"Bien"とは言えない時もやはりある。先日、クタクタになりながらもステイ先で夕食を作っていた時にセニョーラから言われた"Como esta's?"には、どうしても"Bien"とは言えなかった。


イマイチだね、と言うと、ビックリした顔でその訳を問う。疲れや種々の柵、そしてそれらの悪循環について説明すると、表情を曇らせた。いつもいつも笑顔を絶やさないセニョーラは、そして、私に色々なことを話し始めた。


その多くは、常套句的なものではあった。しかし、「私達は人生のtopeにぶつかるものなのだよ」という言葉はとても示唆的だった。


tope(トペ)とはメキシコの道路でよく見かける突起のことである。これは車がスピードを出し過ぎるのを防ぐ役割を持つ。猛スピードのままtopeに突っ込めば、車は宙に舞う。中には速度をあまり落とさない車もあるが、大抵はtopeの前で止まったり、独特の減速で乗り越えたりする。


前だけを見て、ひたすら進む。未年生まれは猪突猛進するんだと、同じく未年の祖母から何度も言われながら育ったせいか、人生のtopeを前にした時に、私は減速するどころかギアを入れ替え入れ替え、加速させ過ぎてきた様に思う。しかし、私の場合はそれで何とかやれてきたが、それでも時として芳しくない事態を招いたのもまた事実である。その原因を良く掴めぬまま今まで生きてきたが、「人生のtope」というセニョーラの言葉にはハッとさせられた。


一口でtopeといっても、大きなものから小さなものまである。雨の日と晴れの日では対処の仕方も変わってくる。そしてそれは、「人生のtope」にも同じことが言えるのだろう。今はきっと、もっとゆっくり、しかしそれでいて力強く、目の前にあるものと向き合っていかなければならないんだと思う。


目の前のtopeを如何にして越えるか。topeの越え方という、人生教訓を教えられた。