絵空事


あと数時間後にはアメリカはロスに降り立ち、すぐさま乗り換えて夜にはメキシコシティに到着する。


実家に一時帰省してから十日間、高校時代の友人に会ったり各種準備をしたり、と、色々なことがあった。家族や親戚からも暖かく見送られた。成田では両親と、たまたま成田に居合わせた叔父さんに激励された。まさに旅立ちというカンジであった。


しかし、私の中ではどこか、これは現実なのかという違和感が残っている。上空34000フィートをこうして飛んでいる今でさえも、だ。


確かに海外に行くのは初めてではないし、親元を離れての生活ももう二年以上してきたので、その種の不安はない。しかし、一度も行ったことのない国、しかもそれ程治安の良くない国であるメキシコに、それも一年間も行く、というのはこんなにも軽々しいものなのか。きっとこれは私だけの話なのだろうが、それでもこの「感情の高ぶりのなさ」には我ながら驚いている。


自分史を語るのに二十年という歳月は短すぎる。しかし己の来し方に思いを巡らせると、年齢と感情の起伏はある一定の時期までは比例的な、そしてそれからは反比例的な関係にあるように思える。一般化するにはアバウトすぎるが、転換点に個人差が見られるだけであとは総じてこの通りなのではないか、と考えている。


私の場合、その転換点は高校時代にあった。普通ではない、刺激に満ちた高校に通っていたために、山程の愉しみを得たが、感覚は若干麻痺してしまったのかもしれない。思えば当時、「年を取れば分かる」という大人の常套句が何よりも嫌いだった。確かにそういうものはあるのかもしれないが、それを年齢のせいにだけするのは詭弁である。そう思っていた。きっと当時もし、こういうことをよく言われるある方の書いたものを読んだら、半分も読まないうちに投げ出していただろう(今はこの人が結構好きなのだが)。


だが今はそう言う方々の気持ちが僅かだが分かる。人間に刻まれた年輪は理屈を超える、とまでは言わないが、それに近いものがあるのだろう。


昔の様な胸が張り裂けんばかりの高揚感は得られないだろうが、しかし、年を取って初めてヒシヒシと身にしみて分かることもあるだろう。向こうでの暮らしの中できっと、私はその感覚を味わうだろう。


関係ないが、洋上では起点がハッキリしないので、どちらが「こっち」でどちらが「向こう」なのか分からない。地理的に言えばもうメキシコの方が近い位置に来ている。