意識化したバイアス


他人の卒論を読み、またそれについてコメントした際にちょっと思ったこと。ちょっとカタい話で、しかもメモ書き風なのでまとまってないんですが。


自分の様に、興味関心がある地域(であり、研究の対象地域)に一年程度住んだ人間だったり、長らくその地域に関する研究を続けた人には、どうしてもある種のバイアスが生じてしまいます。その地域を深く知る人にとっては自明とされていること、自分が肩入れしている研究視座からすると前提となることなどに、そういうバイアスは現れるのだと思います。


自分としてはなるべくこの種のバイアスを排して物事を眺めたいと思っていました。なぜならこのバイアスは門外漢からすると単なる主観にしか見えないことがあるからです。


が、一概にこのバイアスが悪だとも言い切れないのではないか、という指摘を受けました。なぜなら「こういうバイアス含みの(学問的な)立場」というのもまたあるから、だそうです。むしろ社会科学の場合、バイアスが完全にない立場というものの方が難しい、と。


だから大事なのは、バイアスを排したものの見方を確立させるのではなく、自らのバイアスを意識した上で何らかの立場を取ること、なのかもしれません。って、至極当たり前のことではあるんですが、まぁ確認しておく良い機会ではありました。