セントロに佇む


大通りから一本入った所にあるAv.Hidalgoはコピー屋やカフェ、レストラン等が林立する裏通りである。普段の買い物等はここで済ませているのだが、この通りを北に向かうとCentro de Coyoacanと呼ばれている広場に出る。この広場はIglesia de San Juan Bautistaという教会に面しているのだが、この広場には露店が出ていて、日曜ともなると礼拝者と近隣住民でごった返す。先週に引き続き今週もこのセントロで日曜の午後の日差しを浴びようと、鼻歌交じり一人Av.Hidalgoを北上する。


「San Juan Bautista(サン・ファン・バウティスタ)」という名前にピンとくる人の大半はおそらく宮城県人だろう。伊達政宗の時代、ローマに向かった支倉常長以下の使節を乗せた船の名前が「San Juan Bautista」だった。彼等は「Nueva Espan~a(ヌエバエスパーニャ、当時のメキシコの名称)」に立ち寄り、副王に謁見したという記録が残っている。厳かに取り仕切られているミサを遠くから眺めながら、後にしてきた郷里をふと思い出した。


「San Juan Bautista」とは「洗礼者聖ヨハネ」という意味で、支倉使節団の船名及びセントロの教会の名前の由来もそこにある。全くの偶然ではある。だが、何らかの蓋然性を感じずにはいられない。


メキシコシティは高地にあるため、夏場でも朝晩は多少冷え込む。今朝も肌寒く、長袖のシャツを着ていたのだが、セントロに向かった頃には日も高くなり、暑いくらいだった。シャツの袖をまくり、セントロを一周する間、私の頭の中では自分と「San Juan Bautista」の関係についての取留めのない思考が渦巻いていた。